会社役員の「営業成績が平均未満の人間はクビ」発言が「決定的に間違っているワケ」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
そして誰もいなくなる:不合理で笑えない、ありふれた話
お次は、どこかから派遣されてきた役員が「競争意識が足りない。今度からは毎月の報告会で営業成績が平均未満の人間はクビだ」と宣言した状況だ。 すでに大笑いされている方は鋭い。 この発言は論理的に根本から間違っている。しかし、こんな馬鹿なことを本気でやる会社がある。恐ろしいことにむしろ多数派でさえある。 数学的にいって、個人の成績に正規分布に従うばらつき(分散)がある2人以上の集団において平均を計算すれば、「集団の半分近く」は基本的に「平均未満の成績」になる。 だから、この集団は放っておけば一ヵ月で半分、二ヵ月経てば四分の一、三ヵ月すれば当初の八分の一になり、これを繰り返せば逆・幾何級数的にあっという間に営業部隊は一人になる。 この状況に至って「やれやれ、ようやく営業成績が平均未満の従業員はいなくなった」と、この役員は安心するのだろうか(実際は新人を補充するため実態が見えなくなる)。 働く側も馬鹿ではない。会社が消えてしまう前に、「裏で手を組んで全員が同じ営業成績になるように数字を操作する」という別解に辿り着く。昭和世代はこれを「鉛筆舐め舐め」と表現した。もし会社にある古い鉛筆を嗅いでみて変な臭いがしたら、それは不条理と戦ってきた先人の汗と涙と主に唾の結晶なのである。 この役員は「真に競争すべきは社内の従業員同士ではなく社外のライバル会社だ」ということに気付くべきだ。たとえ社内の従業員の営業成績にばらつきがあっても、ライバル会社より優れていて顧客が満足しているなら問題ないはずである。 もちろん進歩する気持ちを失ってはいけない。だとしても、取り組むべきは平均「未満」の営業成績の従業員を解雇することではなく、平均「以上」の営業成績を上げた従業員の営業ノウハウを分析して他の従業員と共有することだ。 すこし立ち止まって論理的に考えれば誰でも分かる。 だが、ありふれた日常における経営は間違った観念で支配されたまま、他者との関わりに苦痛と不幸をもたらし続けている。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)