前半は最悪「読まれなくてもいい」…「知性のある文章」よりもその先の「短い文章」のほうが重要だと言えるワケ
書こうと思って書いているのではなく、「書かなくてはいけない」「書くしかない」という強い思いが乗った文章にこそ魅力があります。 【写真】この先「消える仕事」42種を全公開…安心かと思いきや、実はヤバい職業 そのもとになるのは書き手の感情であり、それを伝える切り札の一つが「対比」。エンタメ系トップブロガー「かんそう」さんが培ってきた文章にまつわる「考え方」「書き方」をまとめた著書、『書けないんじゃない、考えてないだけ。』(サンマーク出版)から一部抜粋、再構成してお届けします。
「知性とバカ」を使い分ける
自分の感情を伝えるときに有効なのが「対比」です。 文章における「対比」のテクニックといえば、「過去と未来の対比」が一般的です。 「私はこの映画を観て人生が変わりました。なんて自分は愚かだったのだろうと、これまでの行いをとても後悔しています」 このように映画を観る前の自分と観た後の自分を対比させることで、いかにその作品が素晴らしいものであるかを伝え、読者の共感を引き込むテクニックです。 これも小手先の文章としては非常に有効ですが、ここで私が紹介したいのは「知性とバカの対比」。 「知性の文章」と「バカの文章」を使い分けることで緩急のある文章を作り出し、読者の意識を本当に伝えたい箇所に集中させることができます。 実際の文章で説明しましょう。 私が好きなアイドルグループの一組にSixTONESがいるのですが、彼らが2024年1月にリリースした楽曲『君がいない』について書いた文章が以下です。 ダウナーなベースのリフと同時にジェシーの特大フェイクから間髪入れず松村北斗の溜息そしてまたベースが絡んだと思った瞬間に再び狂ったかのようなフェイクそして想いの全てを掻き消すような松村北斗の咳払いを皮切りに始まるのだがここがあまりに素晴らしくこれをフルで聴くためならどれだけ金を払っても良いそう思わせられるイントロだった。 この印象的なリフは曲の全編にわたってループされており「声すら楽器の一部」と言わんばかりに隙間隙間に6人の声のフェイクが入ることで同じフレーズでも1小節ごとにまるで違った聴こえ方になるのだ。これは野球で言えば常に150キロの球速のストレートを投げているように見せかけてその全ての投球フォームが微妙に違うのと同じである。つまりその全てが「同じなのに違う」聴き手は何度聴いても耳が慣れることなく毎回初聴のような感覚に陥り曲が終わる頃には確実に聴いた人間の脳にこのメロディがインプットされるように仕組まれている我々は言わばSixTONESという名の大きな渦の中に巻き込まれた沈没船だったのだ。 そもそもヒップホップにループの概念を最初に刻んだのは1973年およそ50年前ジャマイカ出身のDJクール・ハークがニューヨークのブロンクスにあるアパートで開かれたホームパーティー中に2つのターンテーブルとミキサーでR&Bとファンク・ミュージックをかけながら曲のブレーク部分を無限にループさせ人々を熱狂させたのが始まりで、つまり 「やっっっば。」 というイントロから始まり、そこから 「ありきたりなLazy Morning 何気ない日々にイラつき Boring, Boringって 寝ぼけた頭コーヒーで覚ませば 嗚呼、 君がいない 君がいない」 のフレーズがめちゃくちゃヤバかった。特に「コーヒー」を全員なぜか 「カッフィ」 と発音しており、この中毒性がめちゃくちゃ、マジでめちゃくちゃヤバかった。 (kansou「SixTONES『君がいない』の「カッフィ」が、もう一生頭から離れられない」より)