宗山塁(明大)父が語る原風景【後編】「私の仕事はドラフトで終わり。そこから先は塁の仕事」
「プロ野球に入ることが目的ではなく、その先を見据えて」
野球を本格的に始めた小学1年以降、塁に言い続けてきたのは、高い目標を持つ大切さです。やるべきことを明確にしておかないと、ただ、やみくもになって練習しても、決して上達はしません。課題を一つひとつ、クリアしていく。あえて口に出すことで退路を断ち、自分の言葉に責任を持つことも大切です。 中学3年時、広陵高・中井先生(哲之監督)から声をかけていただいたのは、ありがたいことでした。先生からは野球のことは一切、言われず「3年間、男の修行をせえよ!!」と。私の思いと、塁の考えが一致しました。塁は当時からビジョンが明確で「広陵で甲子園に出場し、大学4年を経てプロ入りする」と言っていました。今のところ、本人の意志どおり、順調に歩みを進めています。 明治大学では4年間、指導者、チームメートに恵まれ、最後は主将として、最高の環境で大学生活を送らせてもらいました。野球は団体競技で、身勝手に動けばチームは崩壊してしまいます。一人では、何もできません。大学は社会人となる一歩手前で、人生に役立つ基礎を学ぶ貴重な場であったと確信できます。 10月24日。私自身、この日のために、塁を育ててきたようなものですからね。私の(父としての)仕事はドラフトで終わり。そこから先は塁の仕事ですから。プロに入るこの日のために、という感じで、小さい頃から日々を過ごしてきましたので……。
小学6年時に広島東洋カープジュニアでプレーし、私もコーチとしてNPBジュニアトーナメント(福岡)に帯同させていただきました。当時の塁は11歳。大学4年生を21歳とすると「あと、10年もあるんか……。長いのう……」と思っていましたが、過ぎてしまえばあっという間ですよね。ドラフト会議当日は、僕の中では一区切り、あとは一番のファンとして応援するだけ。私がファンになる以上は、常に多くの方を喜ばせるプレーをして、1年でも長く一軍で活躍してほしいです。 とにかく、ケガだけはせんよう『日々、ちゃんと過ごせよ!!』と、ことあるたびに言っています。プロ野球に入ることが目的ではなく、その先を見据えておかないといけません。誰よりも早くグラウンドに出て、最後にグラウンドから出る。そうせんと、野球はうまくならんのです。塁にとってはドラフトが到達点ではなくて、ピークはもっと先にあると思って日々、精進してほしいと願っています。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール