【訂正】『本好きの下剋上』マインの挑戦はなぜ人を惹きつけるのか? 厳しい世界で前向きに生きる主人公の魅力
異世界に生まれ変わって前世の知識で大成功ーー。そんな設定を持ちながら、香月美夜の小説『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んではいられません~』(TOブックス)で主人公のマインがたどる運命はとても苛烈だ。差別される弱者の側に生まれ、お金も物資も乏しく体も弱いといったハンディを背負わされる。それでも「本が読みたい」という願いをかなえるために突っ走っていくマインの前向きさに惹かれたファンによって大人気となり、3期にわたってアニメ化され第4期の制作も発表された。『本好きの下剋上』はどうしてこれほどまでに人を引きつけるのか? 暗殺者としての技術だったり、料理人としての腕前だったりを転生した先に持ち込んで、大活躍する作品と『本好きの下剋上』との間に違いがあとすれば、転生者のマインが前世はただの本好きな女子大生だったということだ。大学図書館に就職が決まって、これからの人生を好きなだけ本に耽溺できると思っていた矢先に、地震で崩れてきた本に下敷きになって死んでしまう。 そして目覚めると異世界にいて、マインという名の5歳の少女に転生していて、周囲に大好きな本がまったくない状況におかれていることに気づく。本そのものが存在していない訳ではなかったが、手で書き写すために非常に高価で貴族くらいしか持っていない。そしてマインが転生したのは平民で門を守る兵士をしているギュンターの家。一生かかっても本を読むことなどできそうもなかった。 ところが、マインはあきらめず自分で本を作ろうと心に決める。そのためには紙を作り印刷機を作りインクを作る必要があったが、ただの女子大生だったマインにそうした技術は備わっていなかった。あったのは、なんとなく覚えている紙の誕生や印刷機の登場に関する知識と「本を作る」という目的だけ。それでもマインは試行錯誤を繰り返し、周囲を巻き込んで目的に近づいていく。 ここで特徴的なのが、幼い女の子が珍しいことをしているからと、誰もが優しく協力してくれるわけではないということだ。父親のギュンターや幼なじみのルッツはともかく、商人のベンノはマインが前世から知識として再現した簪(かんざし)のような品物を取り扱い、利益を得られるから付き合っている。契約書もしっかりと取り交わされる。現代にも通じる厳密な商業活動が繰り広げられていて、子供だからといってお目こぼしを受けるようなことにはならない。 貴族と平民との身分差も歴然としている。世界には魔力というものが存在していて、魔力の強い貴族が統治者となって平民の上に君臨している。逆らえば江戸時代の武士による町人への"切り捨て御免”のようなことも普通に起こる。「第一部 兵士の娘」のラストでマインは、神殿長の強権によって身柄を奪われそうになり、父親のギュンターが命を賭けて守ろうとする。マインの持つ膨大な魔力が周囲を圧倒して相手をひるませたことで、どうにかこうにか切り抜けたが、何もなければそのまま皆殺しにされていただろう。決して優しくない世界だ。 そうした身分制度がマインの人生を翻弄する。平民の子で、知恵と工夫と努力によって異世界では目新しいものを作りだし、ビジネスとして軌道に乗せる才覚を見せたマインだったが、新しい発明をして稼げば稼ぐほど注目を集めてしまう。神殿長のように権力を振りかざしてマインを奴隷のような身にして縛り付けようとする勢力があり、マインの有能さを認めて庇護したいと考える勢力もあって、四方から体を引っ張られるような状況に放り込まれる。 最終的には、美形だが職務には厳しい神官長のフェルディナンドに庇護される形で神殿に通うようになった「第二部 神殿の巫女見習い」で、マインは本格的に本作りを始め、イタリアンレストランの経営や商品の提供なども行うようになる。もっとも、経済力や政治力を超越した身分制度がマインを街の若き起業家ではいさせない。マインを絡め取って新たな状況へと連れていく。それがアニメ第4期で描かれることになる「第三部 領主の養女」だ。 前々からマインの才覚に目を付けていた領主のジルヴェスターが、マインを狙う者たちから家族を守るため彼女を死んだことにして、ローゼマインという名で養女として迎え入れる。第三部の発端となる展開で、家族とは離ればなれになり、再会できても貴族と平民という格差を意識しなくてはいけないようになる状況が、物語の世界に身分という制度が厳然として存在していることを示す。契約が重んじられる商業活動も含めて、政治や経済といった社会の構造がしっかりと構築されている。 それが逆に、物語の中で生きる人たちの存在に重みや深みを与える。そうした世界で己の才覚で下剋上を成し遂げていくからこそ、『本好きの下剋上』はマインのひとつひとつの成功に強い感慨が浮かぶのだ。 第三部は以後、ローゼマインとなったマインが自分を陥れようとした神殿長を更迭する形で新たな神殿長の地位に就き、神官長のフェルディナンドとともに神殿の運営に取り組む。「第二部 神殿の巫女見習い」で関わった孤児院の運営にも携わり、印刷物を作る工房で多色刷りの絵本の制作といった難題にも向き合っていく。 加えて貴族の養女となったことで、貴族社会における権力争いにも巻き込まれていく。これが厳しい。肉親であっても親類であっても、権力に逆らえば断罪される貴族社会の非情さが見え、その非情さがあるからこそ統治も可能といった社会のリアリスティックな有り様を分からせる。 そんな厳しい日々でも、何かを生み出す楽しさを存分に味わおうとしているマインの姿を見ていると、もっと攻めた人生を送ってみたいとも思わされる。貴族社会の一員になったマインは、孤児院へのチャリティとしてパーティーを企画し、その目玉としてフェルディナンドによるフェシュピールという楽器の演奏会を実施する。 いったい何が起こるのか。人気アイドルが登場するディナーショーを想像すればわかる事態が、異世界の貴族社会で繰り広げられる楽しさを味わえる。マインが印刷機を使って作り出したものが、今のライブやアイドルイベントでは普通のものありながら、経験のない異世界の女性たちに驚きと幸運をもたらす展開も。世界が変わっても"推し活”スピリッツは変わらないようだ。 第三部では、マインが「身喰い」という身体的なハンディをなくそうとして治療に必要な材料を集める展開もあって、いよいよ本格的にマインの時代が到来かと思われたところで驚きの事態が起こる。「第四部 貴族院の自称図書員」を経て「第五部 女神の化身」へと続いて12月9日発売の『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んではいられません~ 第五部 女神の化身Ⅻ』で完結する物語の、ターニングポイントとも言えそうなシリーズだけに、アニメ化をきっかけに改めて内容を確認しよう。 ※記事初出時、本文に誤りがありました。以下訂正の上、お詫び申し上げます。(2023年12月15日10:07、リアルサウンド編集部) 誤:第四部 貴族院の事象図書員 正:第四部 貴族院の自称図書員
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