連続ヒットマンに見る「古いヤクザ」の悲哀
定説通りに神戸の事件にも関与しているのなら、2件の殺人と1件の殺人未遂を犯した勘定になる金澤容疑者。この逃避行の足跡から、「どうせ極刑なら何人殺しても同じ。自分の組織の邪魔となる人物は道連れにする」という金澤容疑者の明確な意思すら感じられると関係者は口を揃える。 そんな金澤容疑者の覚悟は、逮捕時の潜伏先が仙台であったことに現れているとA氏は言及するのだ。 「仙台には、六代目側の有望な若手がおり、分裂抗争勃発直後に金澤らが対峙して、繁華街で双方が数十人単位で睨み合ったり、互いに襲撃を繰り返して懲役者を出した経緯がある。金澤の潜伏先のアパートの近くには、この組織の関係者のヤサ(住居)があったという情報もある。 金澤は恐らく、因縁のあるこの組織を次の的にしようと潜っていたのではないか。実際に、アパートからは拳銃と実弾10発が見つかっているからね。この組織が、長田にある織田会長の自宅近くにも本部事務所を構えていていることも、金澤にとっては動機となりうる」(前出A氏) ■極刑覚悟で仲間の奮起を促した見方も ヤクザが1人射殺すれば概ね無期懲役。2人ともなれば死刑は免れず、実際に執行されたケースもある。そんな危ない橋を、金澤容疑者はなぜ渡ったのか。暴力団事情に明るい別の関係者のB氏はこう語るのだ。 「長野の殺人未遂事件でフダ(逮捕状)が出て、捕まれば20年近い長期服役が待っている。それならば、素直に出頭するよりも、死刑覚悟で自らカラダを懸けて抗争相手に一矢報いる姿をみせることで、後輩たちを奮い立たせ、逆風続きの抗争局面を一転させたかったのだろう。 絆會には、金澤以外にもケンカができる若手がいる。例えば、いまは銃刀法違反で刑務所に服役していて、数年でシャバに出てくる人物などだ。こうした面々が自分の後に続くのを期待したのではないか」(B氏) 後進の奮起に期待を込めて、極刑も辞さずに汚れ仕事を一身に請け負ったとみられる金澤容疑者。しかし、その結末ははかなかった。B氏が同情交じりに打ち明ける。 「金澤のヤサを警察にうたったのは絆會の若いモンで、その名前も飛び交っている。これ以上、金澤や抗争に関われば、報復や殺人容疑の共謀で逮捕されるリスクがありますから。若い衆に自分の後姿を見せて、立ち上がってもらいたくて手を汚したのに、それが逆に裏切りにつながったのだから、金澤は浮かばれないよ」(B氏) 昔であればヤクザ抗争史に名を残す武勇も、若い世代の目には「時代錯誤」と映ったのだろうか。いずれにせよ、一般社会にとっては物騒な話に他ならない。捜査当局による犯行の全容解明が待たれる。 文/大木健一 写真/長野県警、時事通信社、photo-ac.com