〈1.1大震災~震災ルポ〉それでも輪島は離れぬ 自宅で救助の83歳男性
●屋根崩落の家、危険の赤紙 「命はある住むんや」 「このまちに住むんや」。無情の「赤い紙」が自宅に貼られても、九死に一生を得た高齢の男性の決意は揺るがなかった。10日、輪島市で始まった住宅の危険性を調べる「応急危険度判定」。市内中心部の家には、最も厳しい状態を示す赤色の張り紙が並んだ。それでも男性は屋根が落ちた自宅を目前に「命はある。バラックを建ててここにいる」と、愛着のある輪島を離れたくないと片付けの手を止めてつぶやいた。(政治部・北脇大貴) 【写真】応急危険度判定で危険を示す赤色の紙が貼られた住宅=10日午後3時15分、輪島市河井町 輪島市内の調査は河井町から始まった。雨の中、他の自治体からの応援職員が2人1組で、外から建物の状態を調べ、危険性に応じて緑、黄、赤の紙を貼っていく。 輪島塗の元職人、由野(よしの)順三さん(83)が暮らしてきた木造2階建ての日本家屋も玄関先に赤い紙がテープで留められた。「悔しいわいね」と由野さんがうつむく。 1日、自室でこたつに入り、テレビを見ていた由野さん。1回目の揺れに驚いて立ち上がった。そこに2回目の揺れ。「あっ」と思ったときは崩れたがれきに左足を挟まれ、身動きが取れなくなった。 もうだめかと思ったが、「助けてくれ」との叫びを聞きつけた人たちが、がれきをどかして、運び出してくれた。17年前の能登半島地震に耐えた家は、外壁が落ち、土蔵はつぶれた。窓ガラスや家財道具も散乱。自慢だった庭の石灯籠は倒れてばらばらになった。 1人暮らしの由野さんにとって家や土蔵に保管していた漆器は宝だった。がれきの中からは、黒漆のお膳の足だけが見える。生きてきた証しを失った由野さんだが、同時に助け出してくれた人たちへの感謝の気持ちが募る。 「しゃばの空気を吸って命がある。感謝せな。助けてもらったことは忘れん」 1人での片付けは、いつ終わるか見通せない。それでも由野さんは「輪島が好きなんや。バラックでもいいから、ここに住む。そんときは、石灯籠も直すから、立ち寄ってよ」と笑う。やまない雨に体は冷えたが、胸の中は温かくなった。