「末期腎不全の息子」を救いたい、67歳母親がひと月で“別人”に変貌したワケ
● 朝に2時間、夜に2時間 臓器提供のための減量作戦 2019年4月1日。地下鉄半蔵門線の錦糸町駅をエスカレーターで地上に出ると、桜が舞っていた。 目的地は駅からわずか約300メートル。プロ野球の元監督へのインタビューに向かっていた。しかし、50メートルも行かないうちに視界が真っ白になり、かがみ込んで植え込みにひとしきり吐いた。 少し持ち直すと、背中に手のぬくもりを感じた。ギョッとして振り返ると、見知らぬ年配の男性。「兄ちゃん、飲み過ぎはいかん。ほどほどにな」と、背中をさすってくれていた。花見の酔客と間違えられたようだ。心底情けなかったが、下町の人情を感じた。 一方、母――。朝晩のウォーキングを始め、途中何度も私のスマホを鳴らしてくる。 「あなたの好きな海が見えるわよ」「もう5駅分歩いたわ」 私は「ありがとう」と謝意を伝えながらも、「歩いただけでは……」と期待せずにいた。 そうして1週間ほどたったある日、スマホから母の声と共に、かすかに聞こえる雑音に気づいた。「ザッ、ザッ、ザッ……」。靴で地面を踏む音だった。 「どのくらい歩いているの?」。尋ねると、ガラケー片手の母は息を切らしながら答えた。 「朝に2時間、夜に2時間。歩数計は1日2万歩以上よ。ずっと歩いているわ。あなた、聞いていなかったの?」 体のきつさもあって、母の話はほとんど耳に入っていなかった。それがこの日から、毎日朝夕聞こえる母の足音に励まされるようになる。「もう少しの我慢。必ず痩せるから。信じなさいよ」。いつもそう通話を締めくくる母の声も、日に日に力強さを増している。 「お母さん、ありがとう。頑張って耐えるよ」 私は、母を信じることにした。
● 1カ月で7キロを落とした母 これなら移植手術ができる 川崎市の武蔵小杉駅北口ロータリーで母を待つ私は、合格発表の掲示板を見上げる受験生の心境だった。2019年4月25日、聖マリアンナ医科大学病院腎移植外来を受診する日がやってきた。 医師に「体重やたんぱく尿などの改善が見られなければ、移植は厳しい」と言われて1カ月。現れた母の姿は――。 まるで別人だった。 身長148センチの体は一回りすっきりとして、顔つきもシャープに見えた。あっけにとられていると、車の後部座席に乗り込み、勝ち誇ったような顔で言った。 「お待たせ。何キロ痩せたと思う?ねえ分かる?」 目を丸くする私と妻に答える隙さえ与えない。 「7キロよ。51キロになったんだから。私はやると言ったら必ずやるの!」 「すごいよ。ありがとう!」 それ以上の言葉は出てこない。病院までの車中、母は自分がどれだけ歩いたか、いかに塩分を抑えたか、その努力の数々を改めて披歴した。その話一つ一つに私はただ、うなずいた。 「お母さん!すごい!何キロ痩せたんですか?」 診察室の寺下真帆医師も声が弾んでいる。 「検査結果にもびっくりです。たんぱく尿が消えていて、血圧も低くなっていました。一体、何をされたんですか?」 得意満面の母は、ヒートアップする。 「でしょ。7キロ。だって一日中ずっと歩いていましたから。塩辛いものも食べていません!これで移植、できますね」 寺下医師はうなずく。 「血圧はもう少し下がった方がいいですが、降圧剤もやめて、このまま努力を続けていただけることを前提に先に進めましょう」 間に合った――。母のおかげで、止まっていた時計が動き始めた。 ● 母の決意と努力に応えたいが 息子の腎臓はそれまでもつのか 「では、まず組織適合性検査を受けていただきます」。寺下医師の言う「組織適合性検査」では、レシピエント(私)とドナー(母)の「ヒト白血球抗原(HLA)」の相性と、ドナーに対する抗体がないかどうかを調べる。 ドナーの臓器がレシピエントの体に入り、HLAが違うと、どういうことが起きるのか。 「この腎臓は“異物”」。そう免疫細胞が認識して攻撃したり、抗体を作り排除を試みたりする。これが拒絶反応である。そうならないよう免疫抑制剤を飲むのだが、HLAの相性がよくなかったり、既にドナーへの抗体があったりすると、移植後すぐに強い拒絶反応が表れやすい。