「お金」で課題は解決できない…自由に生きるために大切なのは、「お金の増やし方」の対極の考え方だった
お金がなくても支えてくれる人たちを大切にしよう
──本作には3人の人物(主人公の中学生・優斗、投資銀行で働いている七海さん、優斗と七海さんにお金のことを教えてくれる謎のボス)が登場します。人物設定にはご自身の体験がリンクされていたりしますか? 僕の親は自営業でそば屋をしていました。1階が店舗で2階が自宅。優斗の設定にそっくりそのまま使っていますね(笑)。(注:優斗の両親は自宅でトンカツ屋を営んでいる。) あと、僕は以前投資銀行で働いていたのですが、金融をわかっている七海という投資銀行で働く女性がツッコミを入れることで、ビジネスパーソンにも気づきを与えられるかなと思いました。 ──本書の最大のメッセージである「お金自体には価値がない」。敢えてこれを打ち出したのはなぜでしょうか。 お金の価値の源泉って、その裏側にいる人々の働きですよね。いまの経済は貨幣経済が中心になってしまっているけど、実際はそうじゃなくて、人々が支え合って社会がつくられています。 昔はお金が存在しなくて、家族や村社会で暮らしていましたよね。そこにお金が登場することによって、知らない人たちにも協力の範囲が広がっていったわけです。 だけど「お金=経済」になってしまうと、お金以外で助け合っている人たちの「外側」が中心になってしまう。でも本当は、お金がなくても協力してくれる「内側」を広げることが大事なんです。 都会では地域社会や助け合いがなくなって、生きづらさを感じる人が増えています。本書の主人公の優斗は地方に住んで地域社会に存在しています。だから彼は身の回りと助け合って生きている人たちの存在を感じながら生きています。 一方、投資銀行で働いている七海は地域社会に属していません。彼女のキャラクターは2つあって、1つは「金融に詳しい人」、もう1つは「地域社会に存在しない人」です。地域社会にいない彼女が他者視点で社会を見るためには、愛、つまり人を愛することが必要になってくるんです。 ──たしかに、お金は愛とつながることもできますし、一方でお金があればなんでも買えるため、孤立して生きることもできますね。 自分のそばには自分のことを愛してくれる、いつも協力的な人たちがいます。そのすぐ外側には「仲間」と呼ばれる人たち。彼らは目的が共有できると協力してくれますが、あまりに利己的だと協力してくれなくなってしまう。そのさらに外側にいる人たちに手伝ってもらおうとするときは、お金を使って動いてもらうんです。 僕は金融教育やキャリア教育の講演に呼ばれて学校に足を運ぶときは、「将来どういう仕事がしたいですか?」と質問するんですけど、「年収の高い仕事」と返ってくることが多いです。「社会のために働く」という学生はすごく少ないですね。 なぜ「年収の高い仕事」を求めてしまうのか。それは、「社会」がすごく遠い世界のものだと感じているからだと思っています。別の言い方をすると、身近な社会を感じられなくなっている。 たとえば「単価の高い寿司屋でもうけたい」という目的で寿司屋を始めても、友達は食べに行かないでしょう。でも「地域の人たちにおいしいお寿司を食べてもらいたい」という目的であれば、資金提供したり、応援する人が現れるわけです。 世界っていうのは、まず愛する人や仲間たちがいて、その外側に貨幣経済があります。だとしたら、まず仲間を増やすことを考えたほうが生きやすいですよ。だから「社会のために働いた方がいいよ」いう話をするんです。