45年前、生徒に課した宿題はいまや貴重な戦争証言集 元中学教諭が大切に保管、学校現場での活用望む 鹿児島市の馬場宏文さん
鹿児島市西陵2丁目の元教諭馬場宏文さん(83)は、45年ほど前に谷山中学校の生徒が親から聞き取った戦争体験談を大切に保管している。馬場さんは「当時の親は戦争を体験した世代だった。今の親には語れない貴重な証言で、切実感がある」と話し、学校現場での活用を希望している。 【写真】元教諭の馬場宏文さん宅に保管されていた戦争体験記
戦争体験の聞き取りは、中学校の社会科教諭だった馬場さんが1979(昭和54)年ごろ、中学2年生に課題として出した。親の戦争の記憶を子どもに引き継ぎ、戦争や平和について考えてもらおうとした。その後も授業で活用。退職後は資料として自宅に保管してきたが、8月に南日本新聞の連載「語り継ぐ戦争」を読んだことをきっかけに改めて確認した。 親に直接書いてもらうか、生徒が聞き書きしたもので約50人分が残る。潜水艦に乗っていた祖父の体験談や鹿児島、奄美をはじめ東京や福岡、満州、台湾、朝鮮などでの空襲体験や食糧、物資が乏しかった戦中戦後の暮らしについて記されている。疎開先で深めた孤独や「防空壕(ごう)の土の匂いが忘れられない」など体験者でなければ語れない思いもにじみ出ている。 最近は、ロシアによるウクライナ侵攻や戦闘が続くパレスチナ自治区ガザが気になるという馬場さん。「学校が攻撃されたり、子どもが犠牲になったりした報道に触れるとショックを受ける。なぜ戦争をやめられないのか」と憤る。「体験談には今では百歳を超える人のものもあり、貴重な証言となっている。授業で生かしてくれる教員がいればうれしい」と話している。
南日本新聞 | 鹿児島
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