【注目ドライバー】21世紀生まれ初のF1ドライバー、デビューシーズンから若手らしからぬ力を示したオスカー・ピアストリ|マクラーレン|F1
F1では2年目、オーストラリアの俊英オスカー・ピアストリのこれまでのキャリアを紹介する。
各カテゴリーを制し1年ごとにステップアップ
オーストラリア第2の都市・メルボルン出身、2001年生まれのオスカー・ピアストリは、2011年からカートキャリアをスタートさせる。豪国内のカテゴリーのみならず、欧州のレースにも出場して経験を積み、2016年から主戦場をフォーミュラの世界に移した。 ピアストリは2017年、当時16歳でイギリスのF4選手権にエントリーすると、シーズン6勝を挙げてランキング2位になると、翌年はフォーミュラ・ルノー・ユーロカップに挑戦。1年目は表彰台3回のランキング8位に終わったものの、チームを移籍して臨んだ2年目には、全20戦で7勝をマークしてシリーズを制した。 ここからピアストリの快進撃は続く。フォーミュラ・ルノー・ユーロカップでの走りが評価され、名門プレマ・レーシングからF3にステップアップすると、2020年開幕戦のフィーチャーレースでいきなりのポールトゥウィンを記録。その後も年間を通して安定した走りを見せ、優勝2回・表彰台6回でルーキーながらシリーズチャンピオンに輝いた。 2021年はF3王者として、同じくプレマ・レーシングからF2にエントリー。バーレーンでの開幕シリーズ第2戦では、ファイナルラップにチョウ・グァンユ(現アルファロメオ)を追い抜いて勝利を手にすると、多くのレースでポイントを獲得し、安定したパフォーマンスでチャンピオンシップをリード。最終的にチームメイトのロバート・シュワルツマンを抑えて、再びルーキーでの年間チャンピオンを獲得した。 F3、F2とF1直下のカテゴリーをいずれもルーキーで制したのは、ルイス・ハミルトン、ニコ・ヒュルケンベルグ、チャールズ・ルクレール、ジョージ・ラッセルに続いて5人目。その偉大な先輩たちに続いて、ピアストリもF1へのエントリー条件を満たした。
アルピーヌと決別しマクラーレンからF1デビュー決定
2020年、当時F3に参戦していたピアストリは、ルノースポーツアカデミーに加入。チーム名が変わりアルピーヌアカデミーとなった2021年には、アブダビでのヤングドライバーテストでF1マシンを走行させ、期待の若手として経験を積んでいった。 F2チャンピオンとなった翌年の2022年は、F1のシートが空いていなかったこともあり、アルピーヌのリザーブドライバーとしてチームに帯同。同時にマクラーレンともリザーブドライバーの契約を結んでいたが、アルピーヌからいくつかのレースでフリー走行1回目を担当し、マシンのセットアップなど学習期間を過ごしていた。 シーズン中盤の2022年8月、アルピーヌのフェルナンド・アロンソが翌年からアストンマーティンへ移籍することが公式にリリースされ、チームはその後任としてピアストリを起用すると発表。しかしピアストリは、契約前に発表したチームへの不信感からその内容を否定する騒動に発展した。 この問題はFIAの契約承認委員会にかけられ、最終的にアルピーヌとの契約の有無や、他のチームへの移籍が可能な状況かについて議論された。最終的にピアストリ側に有利な判決が下り、その後、同郷のダニエル・リカルドの後釜として、マクラーレンへの移籍が発表された。 近年ではマーク・ウェバーやダニエル・リカルドといった才能あるオーストラリア人ドライバーがF1に在籍していた。偶然にも、ウェバーが引退した際にレッドブルのシートを引き継いだのはリカルドで、そのリカルドの後任がピアストリという、オーストラリア人の系譜がF1界には脈々と続いている。 実際にピアストリは2020年頃から同胞の大先輩、ウェバーのマネジメントを受けており、次世代のスターであるピアストリがオーストラリアのF1人気を大いに背負っている。また、2001年生まれのピアストリがレギュラードライバーとなり、これで21世紀生まれ初のF1ドライバー誕生となった。