大仁田厚✕ミスターデンジャー・松永光弘が禁断トーク「松永さん、どうしてあなたはFMWを辞めたんじゃ」
松永光弘には大仁田厚に対して恨みつらみはまったくない
ここで重要なのは松永光弘には大仁田厚に対して恨みつらみはまったくない、ということ。たしかにFMW旗揚げ当初に空手家として参戦しながらも約3カ月で離脱。その後、いくつかの団体を渡り歩いて、1993年にFMW復帰。しかし、大仁田引退後にふたたびFMWマットを離れているが、けっして大仁田厚と揉めたわけではない。だからこそ大仁田は、このトークショーを通じて「松永さん、どうしてあなたはFMWを辞めたんじゃ」と問いかけた。 松永はFMWを本当は辞めたくなかったけれど、空手の師匠である青柳政司の意向には逆らえず、やむなく脱退したこと。新日本プロレスのリングで青柳との師弟対決に勝利したとき、それを勲章にFMWマットに返り咲こうとしたが、連絡がとれなくて断念したことなどを丁寧に説明。大仁田に対する反抗心があるどころか、恩人として慕い続けてきたこともアピールした。 その流れでもはやタブーとなっている「ターザン後藤FMW離脱事件」にも言及。これも最初に「私は後藤さんとソリが合わない、と思っている方が多いようですが、それは完全に勘違いです。私は後藤さんについて悪い感情は持っていません」と前置きしたうえで(前置きというには、当時のファンにとっては結構なカミングアウトである)、当時、自分が見聞きしたことを語るから説得力は絶大。その内容はイベント参加者だけの特典なので、ここでは明かさないが、超満員の観衆は固唾をのんで聞き入っていた。 松永がここまで突っこんだ話をしたのは「ひょっとしたら、これでプロレス関係のトークイベントに出るのは最後になるかもしれない」という想いがあったから。たしかにあのころのライバルたちは、ここ数年で、みんな他界されてしまった。もうたくさんの観客を集めてトークをできる相手は大仁田厚しか残っていない……そんな想いがあったからこそ、この日のトークイベントは特別なものになったのだ。
大仁田の50周年記念試合は“聖地”で
スタッフから「せっかくだから3ショットを撮りましょう」と促されたぼくが、すんなりと大仁田と松永のあいだに入ったのは、そんな松永の想いを聞いていたからでもある。30年前には考えられなかった奇跡の顔合わせが、これから先もあるとは限らない。この一瞬とたいせつにしたいと切に思った。 一方、ファンからこれまでのベストバウトは?と問われて「ない!」と即答した大仁田。それはまだ現役レスラーとして“次”があるから、という理由だった。そんな大仁田の50周年記念試合は8月24日(土)富士通スタジアム川崎にて開催される。かっこいい響きの会場だが、ここはかつての川崎球場跡地。大仁田が幾多の電流爆破デスマッチを敢行してきた“聖地”である。 この大会は昨年、亡くなったテリー・ファンクの一周忌追悼興行でもある。そこで兄、ドリー・ファンク・ジュニアの来日も決まったのだが(ドリーいわく、これが最後の来日となりそうだ)、大仁田が御年83歳のドリーを電流爆破マッチに参戦させようとして物議をかもしたが、この日、改めて「ドリーを必ず電流爆破のリングに引きずり込む!」と宣言。と同時に「川崎は昭和を思い出しながら見るプロレスになる」というたまらないアピールも。プロレスデビュー50周年、電流爆破デスマッチをはじめて34年。大仁田厚の青春はこの夏も、続く。
小島 和宏