右腕を切断した元近鉄・佐野慈紀が語る 「12月にマウンドに立って、左腕でストライクを投げます!」
快挙の何倍も浸透した「ピッカリ投法」
「先日、オリックスの監督を退任した中嶋聡(55)のおかげで、『ピッカリ投法』は誕生したんですよ。あいつが打席で爆笑してタイムがかかったから、『これはネタになるな』って気づいたんです。もしスルーされていたら『珍プレー・好プレー大賞』にも出てなかったろうし、捕手・小田幸平(47)、打者・ベンちゃん(和田一浩・52)との″スキンヘッド・コラボ″を5万人の大観衆の前で披露することもなかった」 【画像】「クヨクヨしても、しゃあないやろ。」 元近鉄バファローズ・佐野慈紀の素顔写真 「リリーフ初の1億円プレイヤー」という快挙の何倍も世間に浸透しているのが、佐野慈紀(しげき)(56)の「ピッカリ投法」だ。 ’95年8月のオリックス戦、マウンドに上がった近鉄の中継ぎエース、佐野は絶好調だった。打席には中嶋。 「普段はセットポジションで投げていたんですけど、大差がついた試合での調整登板やったんでワインドアップで投げてみたろと思ったんですよ。中嶋もこんな試合で打たへんやろ、と。そしたら148、149とかなりスピードが出た。で、『これ、150㎞/hイケるんちゃうか?』って思いっきり振りかぶったら、腕がツバに当たって帽子が頭の上にポコッと載っかったんです。『このまま投げたらカッコ悪いかな?』と思ってチラッと打席を見たら中嶋が吹き出している。審判もしゃがみこんで一緒になって笑っとったんです」 ″歴史的対戦″から約30年、中嶋はオリックスを’21年から3連覇に導いた名将として球史に名を刻んだ。 一方の佐野は球界を離れ、5年に及ぶ闘病の末に右腕を切断するという悲劇に見舞われていた――。 ◆肺が真っ白、血糖値は350 異変に気づいたのは、引退して数年後。佐野は30代後半になっていた。 「ずっと咳が止まらなかったんですよ。おかしいなとは思いつつも熱はなかったので『そのうちおさまるやろ』って放っておいたんです。当時はフリーで野球の仕事をしていたから、健康診断もなかったし。ただ、あまりに長いから家族に『病院に行ったほうがいい』と言われて、渋々診てもらったら、肺が真っ白。『軽い肺炎を起こしているから』と入院することになり、準備のために血液検査をしたら、そこで糖尿病が見つかった。血糖値が350を超えとったんです」 現役時代は大食漢で、口癖は「睡眠不足、体力不足は食べてカバー」。ナイター終了後、仲間と寿司屋に繰り出し、握りを桶5つ平らげた後にラーメンを堪能。ナイトクラブを挟み、朝5時に焼き肉を食べてから寝る――そんな日もあった。現役時代も血糖値は高めだったが、節制すればすぐ正常値に戻った。 だが、しかし――運動量が大幅に減った影響か、食事や糖質を制限しても、思うように数値が改善しない。’16年頃からインスリン注射も打ち始めたが、180あたりで下げ止まる。苦闘は続いた。 「5年前からは入退院を繰り返す生活になりました。体重は減っているのに身体がむくんで息苦しいから、主治医に相談したら『心不全や』と言われ、ICUに入れられました。そこから半年間で4回、心不全になりました。で、『これだけ心不全をやったら、腎臓もダメージを受けている』と、それまで”絶対に嫌や”と避け続けていた透析も始まりました」 動脈硬化も進んでおり、バルーンを4つ、血管に入れた。通院治療しながら透析をしていたある日、佐野は石油ファンヒーターの前で寝入ってしまい、気づくと足先を低温やけどしていた。 「感染症が怖いから、すぐ病院に行ってケアしてもらいました。しばらくして治ったかなと思ってウォーキングを始めたら、今度は足の裏が痛む。筋膜炎かなと思ったら感染症で、『心臓まで広がったら命にかかわる』と、足の中指を根もとからバッサリ切断されました。これが糖尿病の怖いところなんですけど、指を切断してもそこまで痛くない。麻酔が効いているのもあったと思いますけど、おそらく糖尿病で神経がやられていた。だから、低温やけどをしても気づかなかった」 ◆「野球やっててよかったな~って思いましたね。」 昨年4月のことである。そこから1年、今度は右手の指先にできたカサブタがなかなか治らないことに気づいた。やがて中指が腫れて――。 「感染症でした。人差し指と中指を落とすことになったんですけど、それで落ち着くかと思ったら、今度は手の甲が腫れ始めた。そこから1~2日で腕まで広がってきて″右腕を切らなきゃダメだ″となったのが今年の4月27日あたり。『(切断する日が)5月1日に決まりました』って言われて、俺、4月30日の56歳の誕生日を迎えたんですよ」 球界屈指のポジティブ・キャラとして人気を博した佐野も、一般病棟に戻り包帯でグルグル巻きになった右腕を鏡で見たときは「本当になくなったんやな」とネガティブになりかけたという。 「『受け入れたんですか?』ってよく聞かれるんですけど、鏡の前で一瞬、『受け入れなしゃあないか』とは思いました。でも、すぐに『受け入れるって何やねん』と思い直した。ネガティブ要素が僕の中に入ってきたのが嫌で、すごく気持ち悪くなったんです。鏡の前で『アホやと言われてもいいから、ポジティブで行こう』と切り替えました。これ、ピンチの場面でストライクが入れへんリリーフ投手と同じなんですよ。『クヨクヨしても、しゃあないやろ。ド真ん中投げとけ!』ってやつです。野球やっててよかったな~って思いましたね。その後すぐ、左腕でシャドウピッチしてましたから(笑)」 近鉄時代の同僚・大塚晶文(あきのり)(52)が右ヒジを手術した際、左投げに挑戦して遠投で70m投げたことを思い出した。常識を覆し続ける大谷翔平(30)の活躍にワクワクし、勇気をもらった。 この8月に退院したばかりだが、すでにトレーニングを始めているという。 「いま、心臓弁膜症を患っていて、トータル5年近い入院で体力も落ちているんで、ゆっくりですけどね。まずは握力をつけてボールを握れるようにする。腕まわりをパワーアップして、下半身を安定させて――12月に開催される学童野球の全国大会の始球式のマウンドに立って、ど真ん中にストライクを投げる! これが今の目標です」 お手本はメジャーで200勝を挙げた左腕、クレイトン・カーショー(36)だ。 「左手の使い方とかバランスの取り方を参考にしています。帽子を飛ばして投げるのが僕のスタイル。サウスポーでもできるかどうか、挑戦してみたいですね」 チビッコの前で「左のピッカリ投法」が炸裂……ポジティブな佐野が照らす未来は、どこまでも明るい。 『FRIDAY』2024年11月1・8日合併号より
FRIDAYデジタル