岡田彰布が阪神歴代監督で最多勝を保持する名将・藤本定義の514勝まで「あと2勝」/寺尾で候
<寺尾で候> 日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。 ◇ ◇ ◇ 阪神の歴史が塗り替えられるXデーが近づいた。岡田彰布が、球団歴代監督で最多勝を保持する名将・藤本定義の通算514勝(424敗24分け)に「あと2勝」で並ぶところまでこぎつけたのだ。 球団創設からのべ35人の監督を擁した阪神史上、球団2位だった「今牛若丸」こと吉田義男の勝ち星を超え、交流戦明けにさらっと“天下”を取るのかと思ったが甘かった。生みの苦しみが続いている。 巨人、阪神の両球団で采配した監督は、後にも先にも藤本ただ1人。通算1657勝(1450敗93分け)は歴代3位。阪神では1962年(昭37)に2リーグ分立後初のリーグ優勝に輝き、64年も頂点に立った。 当時の巨人番記者だった三浦勝男(元日刊スポーツ代表取締役)は「昭和30年から40年代のスポーツ紙の“華”は巨人阪神戦で、『天王山』とか『天下分け目の戦い』という見出しがついたものです」という。 巨人担当歴17年はスポーツ紙業界で最長、“ミスター・スポーツ紙”の三浦は「藤本さんは武将でいう秀吉、貫禄のある親分のイメージだった」と巨人監督・川上哲治が甲子園球場入りした際の光景に触れた。 「巨人が一塁側ベンチ横の通路を上がって三塁側に移動するとき、番記者に囲まれる藤本さんが座っていて、“打撃の神様”といわれた川上さんが帽子をとって会釈をするんです。大先輩だから仕方がないんだけど、川上さんが頭を下げるのは藤本さんぐらいでしたね。しかも藤本さんはギロッとにらんで、半ば無視して、川上さんを『おいっ、テツ!』と呼び捨てにする。いかにも見下した感じでした」 藤本に仕えた名ショート、初代阪神日本一監督の吉田も、そのやりとりを知っていた。「それはね、智将といわれた藤本さんならでは、半分は“演技”だったんと違いますか」と真意を突く。 「阪神は勝敗が示すように、盟主といわれた巨人に勝てなかったんです。確かに藤本さんは、あの川上さんを『テツ、テツ』と呼んでましたわ。つまり今思えばですよ、巨人アレルギーを払拭し、我々選手を奮い立たせるのに『なにもひるむことはないんだぞ』と芝居を打ったのかもしれませんね」 智将藤本が“伊予の古だぬき”と称された由縁に触れた気がした。阪神の生き字引で、岡田が現役時代の名物球団社長だった三好一彦は、少年時代に甲子園で指揮をとった藤本采配をスタンドから見ている。 「藤本さんが、走者一、二塁の場面で、2人のランナーを同時に走らせたのは驚きました。今では珍しくもない作戦ですが、子供ながらに感激したし、奇抜で、鮮やかなダブルスチールに甲子園がどっと沸いたものです」 時を超え、先人を超え、生え抜きの岡田が最強監督にのし上がる。この意味は重い。さて、勝利後の男は、なにを思い、なにを語るだろうか。 (敬称略)