9年ぶりV目指す伝統校 龍谷大平安の原動力は急成長右腕 センバツ出場校紹介
センバツ出場回数最多の伝統校が4年ぶりに聖地の土を踏む。42回目の出場となる龍谷大平安(京都)の原田英彦監督は「ここ数年は新型コロナウイルスの影響があって寂しい甲子園だったが、通常に戻りつつあるタイミングで彼らが出てくれることが何よりもうれしい。目指すのは一番」。2014年以来の春の頂点を目指す。
近畿大会準々決勝でうれし涙
昨秋の京都府大会は試合運びが今一つ安定せず、準決勝で京都国際にコールド負けを喫した。3位決定戦では延長戦の末に鳥羽を降し、やっとの思いで近畿大会の出場切符を獲得。しかし、ここからチームを立て直し、1回戦は17得点を奪ってコールド勝ちを収めた。準々決勝も圧勝し、準決勝では、明治神宮大会を2年連続で制した大阪桐蔭に最後まで食い下がった。
原動力となったのは、府大会終盤から投手陣の柱に成長した桑江駿成(2年)。身長167センチと小柄ながら、サイドから繰り出す多彩な変化球で的を絞らせない。特にシンカーの精度を高めたことで投球の幅が広がり、急速に力を伸ばした。エースナンバーを背負った近畿大会では、全3試合を一人で投げ抜き、2試合で完封した。原田監督いわく「おとなしい性格」だが、準々決勝で勝った時は思わずうれし涙をこぼした。上位進出には2番手格の投手陣の底上げが欠かせない。
打線は、出塁率が高く長打力もある白石力翔(2年)が突破口を開き、山下慶士(2年)、主将の山口翔梧(2年)ら力のある中軸が確実に走者を還す。昨秋のチーム打率は3割8分、1試合平均8点以上を挙げるなど得点力は高い。1試合平均1失策と、伝統の堅い守りも健在だ。
夏の準V導いた川口知哉氏がコーチに
1997年の夏の甲子園で平安(現・龍谷大平安)を準優勝に導いた左腕で元オリックスの川口知哉氏が昨春からコーチに就任した。バッテリー陣の指導はもちろん、打撃練習にも目を配りチームを支える心強い存在だ。山口は「小さいころから見てきた龍谷大平安で甲子園に出ることが夢だった。日本一を目指したい」と話す。 就任30年の節目の年を迎えた原田監督は「昨夏の京都大会の経験者がほとんどいないメンバーで、ここまでよくやった。選手層を厚くして競争させ、チーム力をアップさせたい」と部員61人のさらなる奮起に期待し、9年ぶりの頂点を狙う。
OBに元広島の衣笠祥雄さんら
1876(明治9)年、浄土真宗本願寺派寺院の子弟を教育する目的で滋賀・彦根に創立した「金亀(こんき)教校」が前身で、1909年に西本願寺西側の現在地に移転。10年に旧制平安中学校、48年に新制の平安高校となり、2008年に龍谷大付属平安高校に改称された。 硬式野球部は1908年創部。甲子園出場は春夏で通算76回目となり、全国歴代最多を更新した。夏は38、51、56年の3回優勝し、春は2014年に初制覇。OBには、プロ野球の連続試合出場記録を持つ「鉄人」こと元広島の衣笠祥雄さん(故人)や、元阪神の桧山進次郎さん、楽天の炭谷銀仁朗選手、ヤクルトの高橋奎二投手ら。