「いずれはふるさとに戻りたいが…」帰郷か定住か 揺れる思い 石川珠洲から沖縄に避難した家族
能登半島地震で被災した石川県珠洲市の家族4人が1月下旬から沖縄県浦添市の市営住宅で避難生活を送っている。温暖な気候やサポートしてくれる人々の優しさに励まされながら沖縄で暮らしているが、市営住宅に滞在できるのは最大で6カ月間。「沖縄で定住することも考えたが、ふるさとの家を放っておくことはできない」「いずれはふるさとに戻りたいが、何から手を付ければいいのか」と、家族は心の整理が付かない日々を過ごしている。(浦添西原担当・比嘉直志) この記事の他の写真・図を見る 避難しているのは本谷郁夫さん(95)と妻まり子さん(92)、長女阪口裕子さん(66)、次女の本谷桂子さん(64)。次男の和夫さん(58)が琉球大学を卒業後、りゅうせきグループで働いている縁で沖縄に身を寄せている。 地震があった元旦の午後4時10分ごろ、家族4人はテーブルを囲んでのんびり正月を送っていた時、震度6強の大きな揺れが襲った。戸という戸は外れ、かもいは斜めに垂れ、食器棚は倒れ、混乱の中で何とか家族全員で脱出した。家は全壊の罹災(りさい)証明を受けた。 着の身着のままで、廃校になっていた小学校の体育館に避難した。テレビやラジオはなく、新聞も届かない。裕子さんと桂子さんは「町に何が起こり、どういう状況なのか、情報が全く分からず疎外感しかなかった」と振り返る。 学校の避難所では、炊き出しやスマートフォンの充電など住民同士で助け合っていた。厳しい寒さの中、郁夫さんとまり子さんは高齢で体力の低下が心配だったため、和夫さんの提案で沖縄に二次避難することにした。 市営住宅はバリアフリー対応で、郁夫さんとまり子さんは週2回のデイサービスを利用している。裕子さんは家族の二次避難を素早くサポートしてくれたりゅうせきや行政に感謝しつつ「いろんな人とコミュニケーションを取れるサークルがあれば、両親はもっと沖縄生活になじめるかな」と話す。郁夫さんは「地元を逃げ出したように思ってしまう。今も夢に見る」。まり子さんも「いつになったら帰れるのか」と、ふとした瞬間に不安が口に出るという。 沖縄での避難生活は1カ月を過ぎた。 裕子さんと桂子さんは「沖縄での避難生活が始まった頃は、定住も考えていた」と話すが、「家もほったらかし。隣人は残って頑張っているし、帰りたいという思いが日に日に強くなっている」と、揺れる思いを吐露した。 県によると、浦添市以外の公営住宅でも被災地からの避難者が入居しており、那覇市は5日から1世帯4人、金武町は21日から1世帯2人を受け入れている。