未払い賃金を「先取特権」で回収 福岡などの元社員3人が連絡取り合い準備
福岡県などの元社員3人が今年、未払い賃金を回収するためとして、勤務先の会社の財産を訴訟以外で差し押さえる手続きを裁判所に申し立て、認められた。活用したのは、給料や退職金といった労働債権を対象に、他の債権者より優先的に弁済してもらえる民法の「先取特権」のルール。どんな仕組みで、どんな特徴があるのだろうか。(河野賢治) 「1月末の支払いの給与は、入金の都合で数カ月遅延します。2~4月末の支払いも数カ月遅延します-」 1月中旬、社長の説明は一方的な調子だった。元社員3人の勤務先は、東京の市場調査会社。それぞれ福岡県内や関西などに暮らしながらフルリモート勤務をしており、オンライン上で伝えられた。 「経営不振」を理由に、2月以降は正社員から業務委託契約に切り替え、同意しないと自己都合退職か解雇にする-とも通告された。ところが、会社は新入社員の採用面接を予定するなど相反する活動もしており、3人は納得がいかなかった。 知人のつてで、福岡県弁護士会の佐藤香織弁護士に相談。佐藤弁護士は業務委託契約への変更を「不当解雇に当たる」としつつ、現実的に賃金を回収する方策として先取特権の活用を考えた。特権では、会社の財産の差し押さえを裁判所に申し立てることができる。まず、必要となる出勤記録などを集めるよう3人にアドバイスした。 そして、1月末。実際に給料支給日に振り込みはなく、全員が同月末で退職。2月末予定の支払いもなかった。2カ月分の給料が手に入らず、申し立ての準備に入った。 裁判所への手続きでは社員側に、会社と雇用契約を結んでいたことや、働いていたことの証明が求められる。3人は在職中、佐藤弁護士の助言に沿い、給料や勤務時間が記された労働条件通知書をはじめ、出勤記録、給料明細、未払いの事実を示す銀行口座の記録などを集めた。 証拠書類をそろえて東京地裁に申し立てたのは、3月中旬。すると2週間弱で訴えは認められ、会社の預金残高に応じて、それぞれ給料2カ月分の全額か一部を回収できることになった。 「早くて驚いた。すごくいい制度」と、3人のうち1人の女性。別の男性は「会社が東京にあるから、(仮に)訴訟をするなら東京地裁に起こしたと思う。でも地方から何度も出廷するのは難しい。今回は裁判所に行かなくて済み、負担が軽かった」と先取特権のメリットを口にした。 一般的に債権の差し押さえは、裁判所の判決や、強制執行を認める公正証書がある場合などに限られる。これに対し、先取特権がある給料や退職金といった労働債権は、判決や公正証書がなくても雇い主の財産を差し押さえられることが特徴だ。働く人や家族の生活を守る、との考え方に基づく。 最高裁判所は、先取特権を巡る申し立ての件数を集計していない。ただ、弁護士の間ではそのハードルは高いと見られている。裁判所が、会社側の反論を聞くことなく証拠書類のみで差し押さえの可否を判断する仕組みであることから、訴訟以上に十分な内容の証拠書類を求められるためだ。社員が手続きの準備を勤務先に悟られれば、財産を隠すなどの妨害行為に遭う恐れもある。内密に動けるかが鍵になる。 「似たような相談があっても、今回ほど証拠書類がそろうことは少ない。給料が不払いになる恐れがあれば、勤務記録などを確保しておくことが大切」と佐藤弁護士は呼びかける。 働く人が給料の不払いに遭った場合、先取特権以外にも回収する手段はあるものの、一長一短がある。 例えば請求訴訟を起こすと、判決まで1年ほどかかるケースが目立つ。また、労働審判や労働局などのあっせん制度で、労使の話し合いにより解決する方法は、会社側が参加しないと不調に終わってしまう。 その点、先取特権は差し押さえ決定までの期間が短いとされ、会社との交渉も必要ない。証拠書類が必要だが、そもそも労働条件通知書の交付は労働基準法で雇い主の義務とされており、労働者が勤務先に対し、法的根拠を主張できる。 今回、元社員3人は連絡を取り合い、どう対応するか相談を重ねた。別の女性は「私たちのような問題に詳しい弁護士はいるか、裁判所に提出する書類をどう集めるか、話し合えたのがよかった。同僚とつながりを持つ大切さを感じた」と振り返った。 ◆先取特権◆ 特定の債権について、他の債権者に優先して弁済を受けられる民法上の権利。通常は債権者が多い場合、平等に弁済を受けるが、先取特権を持つ債権者はこれに優先して回収できる。債務者の全ての財産から返してもらえる「一般先取特権」と、特定の動産や不動産からの弁済となる「特別先取特権」がある。給料など雇用関係に基づく債権は一般先取特権で、特権に基づき会社の財産を差し押さえる際は、労働条件通知書や出勤記録、給料明細などを裁判所に提出して申し立てる。