1800年ぶりの「諸葛丞相」誕生に『三国志』ファンが沸く...中国共産党の未来は「超サラブレッド」諸葛氏が担う?
<諸葛議員と愛新覚羅議員がともに市政を論じる奇観も...。現代中国は嫌いでも、日本人が萌えてしまう現代中国政治について>【安田峰俊(紀実作家・立命館大学人文科学研究所客員協力研究員)】
最新の内閣府の世論調査で国民の約9割が「中国に親しみを感じない」と回答するなど、現代日本人は中国が「嫌い」だ。しかし、『キングダム』や『パリピ孔明』など中国史が題材のエンタメは大人気。その筆頭格が『三国志』で、日本人には古くから中国史への多大なるリスペクトがある。 【写真】諸葛亮(諸葛孔明)の子孫? 諸葛宇傑氏 中国の社会の底流には今も歴史が流れ続けており、習近平も演説に古典を引用し続けている。現代の中国社会と中国共産党は、自国の歴史をどう見ているのか? 令和日本の中国報道の第一人者・安田峰俊による話題書『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の「第一章 奇書」より一部抜粋。 ■明日の中国共産党は諸葛氏が担う? 中国の指導者である習近平は、現時点では明確に後継者を定めていない。 2022年10月に開かれた第20回党大会の幹部人事を見ても、高級幹部である党中央委員205人に「10年後も働ける」世代はほとんど含まれていなかった。習近平の手足として働く現在の中央委員たちは、多くが60歳以上である。 とはいえ、彼らもやがては年を取り、世代交代の時期を迎えざるを得ない。今後、次世代のホープとなりうる1970年代生まれ(七〇後)の中央候補委員の幹部たちには、何人かの注目株もいる。 たとえば、貴州省党委(共産党委員会)副書記の時光輝、昆明市党委書記の劉洪建、済南市党委書記の劉強......などの面々なのだが、彼ら七〇後幹部のなかでも、ひときわ目立つ人物がいる。 その名は諸葛宇傑。2022年3月、この世代としては初めて、省クラスの行政機関でナンバー3のポストである上海市党委副書記の座を射止めた人物だ(現在は湖北省党委副書記)。同年11月1日付の『ウォールストリート・ジャーナル』の記事でも、習近平の後継者になりうる次世代の5人の指導者候補の1人として名が挙げられた。 一見してわかるように、諸葛宇傑は現代の中国人には珍しい複姓(漢字2文字以上の姓)の持ち主である。しかも、三国志で有名な蜀の丞相・諸葛亮(諸葛孔明)と同姓だ。 中国側の公開情報によると、諸葛宇傑は1971年5月生まれで上海出身。40代までは港湾に関係する国有企業に身を置き、社内の党組織の幹部として働いてきた。2010年代後半から上海市党委に移り、当時の市党委のトップであった韓正(現国家副主席)や李強(党内序列二位、総理)に秘書として仕えた。 中国共産党では〝大物〟の上司に気に入られることが出世のパスポートとなる。彼はそうした意味でも上司運に恵まれた人物だ。加えてそもそも上海市のトップは、次代の最高指導部入りの可能性が濃厚な高官が就任する特別なポストでもある。 諸葛宇傑は、これまで一貫して上海で働いてきたが、2023年3月に湖北省に転出した。人事異動を伝えた当時の報道の扱いは比較的大きかったため、必ずしも左遷ではなく、有力者が彼の今後の出世を見込んで他地域での勤務を経験させようとした結果かもしれない。 一方、中国共産党は幹部の個人情報をあまり明かさないため、諸葛宇傑の両親や一族についての事情は公開されていない。ゆえに、彼が三国志の軍師・諸葛亮と血縁関係を持つ人物であるかも、現時点では不明である。 ■諸葛亮の子孫を称する人たち とはいえ諸葛宇傑が、諸葛亮やそれに近い人物の子孫(という言い伝えを持つ一族の出身者)であっても、それほど不自然ではない。 中国公安部が発表した2021年の姓氏データによると、中国における諸葛姓の人口は約4.9万人。彼らのうちの約39%が浙江省、約24%が広西チワン族自治区、約23%が山東省に分布する(ちなみに司馬姓は2.5万人、夏侯姓は1.1万人、皇甫姓は6.5万人である。司馬懿や夏侯惇・皇甫嵩など、三国志の物語ではお馴染みの複姓は、現代中国ではかなり珍しいのだ)。 調べてみると、諸葛氏が多いのはまず諸葛亮の故郷の琅邪郡に近い山東省臨沂市付近で、「諸葛城」という地名も見つかる。 また、浙江省蘭渓市には諸葛亮の後裔を称する人たちが住む諸葛八卦村があり、この村は明代の古建築が多く観光名所になっている。ほかにも浙江省温州市付近に諸葛姓の人たちが多くいる。 浙江省の諸葛氏たちの複数の族譜(父系の祖先を記した一族の歴史書。内容が事実とは限らない)によると、諸葛亮から14世代後の子孫とされる諸葛浰が、浙江省における諸葛一族のはじまりだという。 諸葛浰は五代十国時代の10世紀半ば、華北の混乱を避けて南下し、紹興県や寿昌県(いずれも現在の浙江省)の県令を務めて現地に根付いたとされる。 一方、上海は19世紀半ば以降に発展した歴史の浅い都市で、中華人民共和国の成立前からの上海市民の多くは、隣接する浙江省からの移住者やその子孫である。浙江省の有力氏族である諸葛氏からも移住者がいた可能性は高い。 諸葛宇傑も、彼らの末裔ではないだろうか(余談ながら、上海の人民代表委員〔市議に相当〕には、清朝皇族の末裔かと思われる愛新覚羅徳甄という女性議員がいる。2010年代半ばには、諸葛宇傑も同市の人民代表委員を務めていたため、当時の上海では愛新覚羅氏と諸葛氏が議場で市政を論じる奇観が見られた)。 諸葛宇傑は現総理である李強の息がかかっているためか、まだマイナーな地方幹部にもかかわらず、すでに彼をことさら褒め称えるような報道も現地でいくつか出ている。出世のスピードのみならず、知名度でも同世代の党幹部たちのトップランナーだ。 もっとも、若手時代から頭角を現した人物は、どこかで足を引っ張られたり派閥抗争に巻き込まれたりして、最終的にはパッとせずに終わることも多いのが中国の官界の怖さである。なかには、ゼロ年代前半に上海のトップだった陳良宇のように汚職容疑で失脚し、投獄された例もある。諸葛宇傑が今後も輝き続けられるかは不透明だ。 ただ、仮に順調に出世できた場合──。とりわけ、彼が中央政府の行政の長である国務院総理に就任した場合は大事件である。 234年に諸葛亮が五丈原で陣没してから、ほぼ1800年ぶりに、中国で「諸葛丞相」が誕生することになるからだ(丞相は現代の総理に相当する)。 政治的な話はさておき、単語の響きにワクワクしてしまうのは私だけではあるまい。七〇後幹部のホープである諸葛宇傑の将来は、ひそかな注目のポイントである。
安田峰俊(紀実作家・立命館大学人文科学研究所客員協力研究員)