美空ひばりが14歳にして恋心の多彩な表情を魅せた映画「あの丘越えて」
歌謡界の女王として昭和の芸能史を彩った美空ひばりが亡くなってから35年の歳月が流れた。そんな美空が1951年に出演した映画が「あの丘越えて」だ。 【写真を見る】当時26歳の鶴田浩二と14歳の美空ひばり ■野生児から都会の女性への変化 映画公開当時、美空は14歳。演じた万里子の一人称は"オラ"。山の牧場で、馬に乗って駆け回るなど、活発で元気な女の子だ。母は小さいときに死別し、父は娘を祖母に預け山を出て行ってしまった。その後、事業に成功した父は、万里子に家庭教師をつけ、その先生と共に東京に呼び寄せる。 家庭教師の大助を演じるのは、当時人気を博していた鶴田浩二。戸惑いながらも万里子は大助と共に東京の父、そして父が再婚した義母と共に暮らし始める。 馬に乗り野生児のように育った少女から、都会の女性になることを求められた万里子は、大いに戸惑いながらも、無理に合わせることなく我が道を進む。美空は、そんな芯の通った凛とした佇まいの万里子を見事に演じている。特に物語が進むにつれ、芯の部分は変わらないながらも、衣装を含めどんどん洗練されていく万里子の変化には唸らされる。 ■昭和の芸能史に燦然と輝く美空ひばりと鶴田浩二の初共演作! またもう一つ、本作の見どころが美空の歌声。9歳でデビューした美空は、すぐに天才歌手として大きな注目を集めるようになったが、この映画でも魅力的な歌声を披露している。特に東京に転校してきた初日に万里子が「やっほ~やっほ~」と歌いだす「あの丘越えて」は圧巻。ほかにも「お金がいるんだ」と花束を売るときに歌う「街に灯のともる頃」などまるでミュージカル映画のように贅沢に美空の歌声が楽しめる。 美空の相手役となった鶴田の爽やかさも特筆できる。当時すでにスターだった鶴田は、圧倒的な二枚目かつ、清潔感が抜群。劇中では、中学生の万里子の家庭教師として、人生を指南しつつ、万里子の個性もしっかりと活かしてあげようという懐の深さ、悪い相手には容赦しないという正義感もある役は、鶴田にぴったりと思えるぐらいシンクロしていた。 鶴田は本作の劇場公開時、26歳というから、美空とは12歳差とちょうど一回り違う。大助は家庭教師と生徒という関係性から、万里子に対しては"妹のような"視点で接しているが、万里子はそうではないそぶりを見せる。 大助が万里子に「すっかりきれいになった」と言うと、「ほんと?」と万里子は嬉しそうな表情を浮かべる。しかし一方で、大助と親しくしている由技枝(井川邦子)が気になるようで、「由技枝さんとどっちが好き?」と万里子は聞く。「どうしてそんなこと聞くんだい」と逆に質問する大助。万里子は「だって、あまりに仲がいいんだもん」とやきもちを焼くと、大助は「万里ちゃんとだってこんなに仲良くしているじゃないか」と答える。 この川辺での一連のやり取り中の、美空の笑顔、不満そうな顔、そして寂しそうな顔の変化は、とても14歳とは思えないような奥行きのある表情だった。 昭和を代表する歌姫と銀幕の大スターの初共演作となった「あの丘越えて」。二人の距離感、そして美空、鶴田の歌声など、83分という尺のなかに見どころがたくさん詰まった作品だ。 文=磯部正和
HOMINIS