オーロラ研究から転身 「おいちい」の言葉で報われた「居酒屋経営」の道
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東京・小平市、西武新宿線・花小金井駅の近くにこの秋、居酒屋さんが開店しました。店の名前は「久重」。和モダンを基調とした店内は何となく懐かしい、ホッと落ち着く空間。店の入口には商品の陳列ケースもあって、惣菜のテイクアウトもできます。 ご主人の久保田実さんは埼玉県出身、1966年生まれの57歳。高校時代、地震や地殻変動といった「地球物理」に興味を持ち、専門的な研究を行っていた東北・仙台の国立大学に進学します。そこで海洋調査か、オーロラ調査か……研究ジャンルの選択を迫られました。 「もしかしたら、オーロラを研究すれば南極に行けるのではないか?」 そう思った久保田さんはオーロラ研究に没頭。大学院時代に念願叶って、第35次南極地域観測隊に選ばれます。越冬隊として1年間、昭和基地でオーロラの観測に従事しました。 まるでカーテンが風にひらひらと揺れるように空が輝く「激しいオーロラ」が見られると、気持ちの高ぶりが抑えきれないくらい、心を動かされたそうです。
久保田さんは30歳で都内にある国の研究機関に就職してからも、オーロラの研究を続け、アラスカの大学との共同研究にも取り組みます。しかし、40歳を過ぎたころから研究の現場を離れ、企画立案や官庁への出向、サイバーセキュリティの研究責任者など、さまざまな仕事を経験する立場になりました。 そして50代になり、新たな会社を起こす「起業」を応援する仕事を担当していると、こんな気持ちがよぎったそうです。 「人の仕事の応援だけではなく、自分でも新しいことをやってみたい!」 久保田さんは、25年あまり勤めた研究機関を早期退職することにしました。
実は、久保田さんは無類の料理好き。家でも普段から食事をつくり、職場の仲間や家族を集めてパーティーを開くことがあれば、率先して自ら料理を振舞っていました。「研究者になれなかったら、料理人になりたい」という夢もあったそうです。 2022年春、退職が間近に迫ったとある日、スーツを着た人が並んだ固い雰囲気の研究機関の会議室で、久保田さんは「居酒屋をやります」と宣言。異業種への転身に、驚きのあまり会議室は水を打ったように静かになりました。 それでも、久保田さんは本気でした。すぐに料理の専門学校に通い始め、高校や大学を出たばかりの若者たちに混じって先生の講義を聴き、必死にメモを取りました。夜は近くの居酒屋でアルバイトをしながら、飲食業界の現場を体で覚えていきます。 その甲斐あって、久保田さんは調理師免許を取得。簿記3級や野菜ソムリエなど、役立ちそうな資格も着々と取っていきます。店の物件選びは難航しましたが、何とか条件がよさそうな場所が見つかりました。