中学二年の頃から株価をチェックして…伊藤忠商事の九代目社長に隠された「驚きの生い立ち」
---------- 元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。 ※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。 ---------- 【画像】絶望の30年はこうして始まる
町の本屋さんに生まれた
私が育ったのは名古屋市西南部の町。祖父は我が家で本屋を営んでいました。この町で六つの小学校の全教科書を取り扱う、地域で唯一の本屋です。 私は幼い頃から、店の書棚に並んでいる本から興味ある一冊を抜き取っては、読みふけっていました。売り物なので汚さないよう気をつけながら読み、読み終えると元に戻してまた次の本を抜き取る、という繰り返しです。子供向けの伝記や文学全集から、『夫婦生活』といった大人専用の雑誌まで密かに盗み読みしていました。 その意味で、祖父は私が読書好きになるきっかけをつくってくれた人です。 本屋の名前は「正進堂」。正しく進む、というわけです。祖父がそういう真面目な人だったのか知りませんが、働き者だったことは確かです。当時としてはかなり背が高く体力もあり、ずいぶん遠くまで自転車に乗ってたくさんの本を運んだりして、兵隊じゃないかと思うほど逞しかった。 戦後、家から歩いて五分ぐらいのところにある銭湯に、祖父はいつも真っ先に行っていました。私もそのあとを追いかけていく。今思えば、楽しい時代でした。 父は、名古屋市の中心街に事務所をもち、通信機器の卸業をやっていました。 通信機器のいくつかの部品を他社に委託して製造してもらい、それを組み合わせて商品にして、日本電信電話公社(現・NTT)に納める仕事でした。 そういう仕事をしていたため、父は電機メーカーなど何社かの株に投資し、毎朝、自宅を出て事務所へ行く前に必ず証券取引所に立ち寄り、株価をチェックしていました。