ダンプ松本&立花理佐が語る″熱狂の’80年代″「『極悪女王』の時代があったから今がある」
日本中を熱狂させた『女子プロレス』
″最凶のヒールレスラー″ダンプ松本(63)の半生を描いたNetflixのドラマ『極悪女王』が大ヒット。あらためて’80年代の女子プロレスが注目されている。当時、絶対的な人気を誇った長与千種(ながよちぐさ)(59)とライオネス飛鳥(61)のタッグ「クラッシュギャルズ」と、ダンプ率いる「極悪同盟」の抗争はなぜ、日本中を熱狂させる一大ブームとなったのか。当事者のダンプと、芸能界屈指の女子プロレス好きで当時のトップアイドルだった立花理佐(53)が、往時を語り尽くした。 【本誌未掲載カット】ダンプ松本&立花理佐 スペシャル対談「素顔写真」 ダンプ 理佐と初めて会ったのは、’88年に私が全日本女子プロレス(以下全女)を辞めて芸能界に入った頃だよね。 立花 そう、当時よくバラエティ番組で一緒になってね。実はダンプちゃんがまだ極悪同盟だったときに、テレビ中継のゲストで会場に行ったことがあるんだけど……私、竹刀を持ったダンプちゃんから走って逃げたの(笑)。覚えてる? ダンプ あの頃は誰かれ構わず殴っていたからね。理佐が女子プロレス好きでよく会場に来ていたのは知っていた。ブルちゃん(ブル中野・56)の同期のゴンゴン(小倉由美・57)のファンだったもんね。 立花 ゴンゴンを入り口に、どんどん女子プロレスにハマっていった。本気でレスラーを目指していて、中学の進路相談の三者面談で「高校に行かず、女子プロレスラーになる」って言って、お母さんと先生にめっちゃ怒られたもん。まだ入ってもないのに全女の三禁(※酒、タバコ、男……中学生もNGだが)を守って、休み時間に友達と体育館でトンちゃん(飛鳥)の決め技・ジャイアントスイングを何回できるか競ってたし。ただ、当時の女子プロレスはアイドル以上の人気職。倍率が高くて、私の夢は叶わなかった。 ◆「悪く思われるために一生懸命にやってんだから」 ’83年にクラッシュギャルズが結成されると、瞬く間に人気者となった。ダンプは翌’84年、同期の長与と飛鳥に対抗するように、クレーン・ユウ(62)と極悪同盟を結成。ベビーフェイス(善玉)のクラッシュギャルズに対し、ダンプは金髪で毒々しいメイクを施し、チェーンや竹刀を振り回す悪役に徹した。 立花 極悪同盟の登場で、女子プロレスがグッと面白くなった。 ダンプ 興行的にベビーフェイスの敵役が必要で、会社に焚き付けられた部分はあった。ただ、いくら人気があっても「クラッシュのどこがいいの?」とは思っていた。試合前にリングで歌うのがうるさいし、目黒にあった全女の事務所にクラッシュのファンが押しかけてきて本当に憎たらしかった。新人の頃、飛鳥とは短期間だけど一緒に住んでいたこともあるし、千種とはなかなか芽が出ない”落ちこぼれ組”にいた仲。それが、極悪同盟になってからは控え室も宿泊先も移動のバスも別……。リングで戦う以外、数年間は口もきかなかった。 立花 金髪に革ジャン、竹刀を振り回す極悪同盟のスタイルはどういうアイデアから生まれたの? ダンプ 外国人レスラーはメキシコ人くらいしかいなかったから、金髪にしたら目立つかなと思って。メイクはえくぼを隠すためで、人気ロックバンドのKISSがヒントになった。革ジャンは当時、妹の部屋が″積木くずし″みたいになっていて、そこに貼ってあったクールスや横浜銀蝿のポスターを見て思いついた。凶器は最初がチェーンで、それからムチ、竹刀って変えていった。 クラッシュギャルズと極悪同盟の抗争のなかでも’85年8月、大阪城ホールに1万人の観客を集めて行われたダンプ松本対長与千種の敗者髪切りデスマッチは、いまも語り継がれる伝説の一戦だ。ダンプの凶器攻撃で長与が大流血。敗れた長与がリング上で丸刈りにされる姿は強烈なインパクトを残した。 立花 私、前から7列目の席で見ていた。 ダンプ もう芸能界に入っていたの? 立花 当時中2で、まだデビュー前。学校の先生に引率してもらって、友達と一緒に行ったの。目の前でバーッと血が飛び散って「うわーっ、やめてーっ」って言いながら、しっかり見ていた(笑)。 ダンプ 大きい試合はいくつもあったけど、一番印象的だったのはやっぱり髪切りマッチかな。千種のやられっぷりに興奮して、救急車で運ばれた人もいたからね。嬉しかったのは、千種が髪を切られているのを見て、泣いているサラリーマンがいたこと。大人まで涙しているわけ。 立花 チコちゃん(長与)やトンちゃんとは現役の頃から交流があったけど、ダンプちゃんには近づけなかった。それだけヒールに徹していたってことだね。 ダンプ 悪く思われるために一生懸命にやってんだから、好かれちゃったら困るじゃん。でも、千種の髪を切った後、控え室に戻るときに警備員の男にグーパンチされたのは驚いた。とっつかまえたら「オマエが悪い」って開き直ったからね。 立花 えっ、警備員でしょ? クラッシュのファンだったのかな(笑)。 ダンプ 会場から出るときに600人くらいのクラッシュファンにバスが囲まれた。グラグラ揺らされてバスが倒されそうになったときは、殺されるかと思った。クラッシュファンの嫌がらせは本当に酷かったよ。フェアレディZの新車を350万円で買って、全女の事務所に乗っていったら、その日のうちに「ダンプ死ね」ってペイントされたからね。落書きを消したら今度は10円玉で思いっ切りビーッて傷つけられた。バイクで事務所に行ったらタイヤをパンクさせられ、自転車で行ったらサドルがなくなった。もう笑うしかなかったよ。 ◆お札が散らばっていた 立花 時代だよね。あくまで興行なのに、現実との境目がわからなくなっていたのかも。私も「明星」(芸能雑誌)にクラッシュの二人と出たら「なんでゴンゴンのファンのお前が一緒に写ってるんだ」ってカミソリ入りの手紙が送られてきた。 ダンプ でも、いちばん辛かったのは仲間内の妬(ねた)み。ヒールは人気なんていらないって言われていたのに、結局、クラッシュと極悪同盟が全女のメインになっていったから、先輩レスラーたちは面白くない。「極悪をテレビに出すな」って、色々嫌がらせされたよ。 ’80年代は、女子プロレス界も派手で活気があった。全女の人気が頂点に達した’84年から’85年にかけて、人気レスラーはファイトマネーを現金の束でもらっていたという逸話もある。 ダンプ 試合会場に行くと、グッズの売り上げとか、そこら中にお札(さつ)が散らばっていたからね。全女のギャラはなぜか試合給のみだったんだけど、最高時は月500万くらいあった。テレビに出たり、プロレス以外の仕事もやったんだけど、あのギャラはいったいどこに消えたのか……。 立花 ダンプちゃんとは、よくバラエティで一緒になった。今では考えられないけど、毎週のように2時間の特番で温泉に行ったり海外に行ったり。 ダンプ 俳優の京本政樹さん(65)と3人でカナダにロケに行ったこともあった。 立花 最初に会ったときはまだ10代だったけど、そこから30歳過ぎで子どもができるまで、よく遊んだね。 ダンプ 理佐はお酒も好きで、ガンガン飲む。いちばん最初に飲んだときは、まだ20歳くらいだったと思うけど、「もう遅いから帰りな」って言ったら、「まだ帰りたくない」ってビンタされたからね。 立花 私に子どもができてからは会えてなくて……でも去年、再会してね。 ダンプ 病気(直腸がん)だったって言うから、ビックリして。 立花 病気していた頃、泣きながら何度も電話したでしょ? ダンプ そうだっけ。理佐は酔っぱらって電話してくる印象しかないから(笑)。 立花 確かにね(笑)。一時期、病気で生きる目標を失って、自宅に引きこもりがちになっていたんだけど、そこから救ってくれたのが女子プロレスだった。ダンプちゃんとは何度も電話で話したし、立野記代(たてののりよ)さん(58)やジャンボ堀さん(62)に会って一緒にクラッシュの結成40周年のコンサートに行ったら、ゴンゴンはじめ往年のレスラーが皆いるんだもん。青春時代に戻って、一緒に歌って踊っていたら、こみ上げてきた。家に籠もってちゃダメだ、いまを楽しもうと思った。 ダンプ 全女に入ってなかったら、いまの自分はない。嫌な思いもたくさんしたけど、女子プロレスをやってよかった。 立花 浮き沈みのある芸能界で頑張ってこれたのは、女子プロレスがあったから。仲良しの皆がいたから。 ダンプ でも、もう理佐とお酒飲めないのかな……と思ったらまだ飲んでる(笑)。 立花 だって控えるようには言われているけど、飲むなとは言われてない(笑)。ダンプちゃん、膝は大丈夫? ダンプ ダイエットしているのに痛んでね。長い距離を歩くのは、少ししんどい。 立花 お互い健康には気をつけないと。 ダンプ 全女のブームからもう40年だからね。元気じゃないと飲みにも行けないし、健康でいなきゃ! 『FRIDAY』2024年11月15日号より
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