近江・津田基、山田陽翔との約束あと一歩 「優勝への壁高い」
第94回選抜高校野球大会は31日、決勝で大阪桐蔭が近江(滋賀)を降し、4度目の春の頂点に立った。 【近江・山田 力投も降板 決勝を写真で】 「滋賀で日本一になろうや。お前となら、それができる」。補欠校から急きょ繰り上げ出場し、滋賀県勢として初めて決勝の舞台を踏んだ近江。津田基(もとき)副主将(3年)は中学時代、エースで4番の山田陽翔(はると)主将(同)とそう約束を交わしていた。実現まであと一歩及ばなかったが、試合後は充実した表情で互いに健闘をたたえ合った。 野球が盛んな近畿地方で唯一、春夏ともに優勝経験がないのが滋賀県だ。中学生の有力選手が、他県の強豪校に進学することも多く、津田、山田両選手にも、そうした誘いは少なくなかった。津田選手の母史さん(49)は「地元愛、滋賀愛が昔から強かった」という。中学のボーイズチームで出会った山田選手を「すごいやつがいる」と家に呼び、他の選手が遠慮して言えないこともズバズバと指摘することで、2人はいつしか夢を共にする親友となった。 「甲子園出場は大前提。そこで優勝するには何が必要か」。近江進学後は、高い目標を掲げ練習に励んだ。その思いは2年生だった2021年8月、共にレギュラーとして出場した甲子園で4強入りしたことで現実味が増した。 しかし、チームを引っ張る立場となった秋、山田選手が右肘のけがで試合に出られなくなった。「山田のいない近江はたいしたことがない」。そんな周囲の言葉を否定できず、悔しさが募った。当初はセンバツ出場も逃したが、補欠校として可能性は残された。「何があるかわからない。夏に結果を残すため準備は続けよう」と気持ちを切らさなかった。 近江が18年夏の甲子園で8強入りした際の主将、中尾雄斗さん(21)は「1人では抱えきれないものも、2人なら乗り越えられる。山田君というスーパースターが活躍できるのは、津田君が良き理解者だからこそ」と、サポート役の大切さを語る。 31日の決勝では、準決勝で受けた死球の影響で山田選手が思うような球を投げられず、降板後は堅守が自慢の津田選手も2失策と精彩を欠いた。試合後、「口では簡単に日本一と言えるが、優勝への壁はとても高いと感じた」と語ったが、その目は新たな闘志に満ちていた。「準優勝は一回忘れて、一から土台をつくっていく」【礒野健一】