公開から24年。韓国映画の歴史を変えた『シュリ』のカン・ジェギュ監督が振り返る撮影秘話
カン・ジェギュ監督の名作が『シュリ デジタルリマスター』となって24年ぶりに日本のスクリーンに蘇る。改めて再見すると、韓国で言われている「韓国映画界の歴史は『シュリ』以前と以後に分かれる」とは実に本質をついた言葉だと気づく。韓国での恋愛ドラマにおける最大級のヒット作「愛の不時着」も、『シュリ』が生まれなければ存在しなかったかもしれない。 【写真を見る】正体不明の凄腕スナイパー、イ・バンヒをはじめ銃を持った女性キャラが躍動する 韓流ブームから20年を経て、新たなフェーズを迎えた韓国映画界。歴史の立役者カン・ジェギュ監督に、製作当時のビハインドと韓国映画界の興隆について伺った。 ■「変化、新しい試み、挑戦が私にとってとても重要だった」 カン・ジェギュ監督は元々、シナリオライターとして映画業界に入り、20~30代の多くの時間を脚本家として過ごした。29歳のとき、『誰が竜の爪を見たのか?』で百想芸術大賞脚本賞を受賞するなど、すでに才能は開花していた。当時の創作姿勢について「私自身が何を考えて、それをどう受け止めて、変化させるべきかというようなことを比較的多く考えていました」と振り返る。 「つまり女性や男性といった性別についても、私たちは固定観念で“映画の中で男性というキャラクターはこうすべきだし、女性というキャラクターはこうあるべきだ”と決めつけていたと思うんです。その壁を壊してこそ何か少し新しい試みができ、観客も新鮮さを味わえるのではないか?と強く考えていました。『シュリ』のようなスパイアクションというジャンルの作品は以前もあったのですが、そこに悲壮なラブストーリーの要素を入れたことと女性のキャラクターをプラスしたことで、 既存の役割論や構造の部分で他の作品と確実に差別化しようとしたのです」。 また、劇中で使用される拳銃や機関銃が実に多彩であることにも驚かされる。これも、本作がスパイアクションとして優れている大きな理由だろう。 「どれだけリアリティを多くの観客に伝えられるかが非常に重要でした。その一つが、銃撃シーンのようなドラマチックで劇的な部分において、どれだけ臨場感を持たせられるかだったんです。『シュリ』以前のほとんどの韓国映画では、銃撃シーンでの発砲の様子や戦闘シーンを見ると、やはり実質的な銃ではないので、煙だけが出たり反動が全然物足りなかったり、音もどう聞いても本物ではないんですよね。これらを改善するためには、まず第一にリアルな銃を使わなければならないと考えたので、アメリカで映画用に改造された実際の銃器を私たちが直接輸入しました。おそらくそういう方法は当時とても画期的だったはずです」。 鮮烈な映像と共に胸を打つのが劇伴だ。特にジャズ・ボーカリスト、キャロル・キッドが歌う「When I Dream」は、ジュンウォン(ハン・ソッキュ)とミョンヒョン(キム・ユンジン)の関係性を象徴する重要な役割を担っている。 「ずっと一緒のチームを組んでいるイ・ドンジュン音楽監督は、映画の中で自作曲を使いたい方なのですが、このときは『もう少し一般的に認知されている歌謡曲を使用してほしい』とお願いしていました。しかし、果たしてこの映画のようにシリアスで運命的でありながら、美しい愛に合う曲は何だろうと私も悩んでしまって、ものすごく多くの音楽と曲を推薦されたんですがなかなか決まらなかったんです。そんななかでイ・ドンジュン音楽監督も提案した一曲が『When I Dream』なのですが、その後、私ととても親しくしている知人が編集室を行き来しながらエンディングシーンを見ていたとき『とても合う音楽がある』と私に推薦してくれたのも、偶然「When I Dream」だったんです」。 ■「ファン・ジョンミンはたぶん他の競争相手よりもはるかに光るものを持っていた」 ハン・ソッキュとソン・ガンホがバディを組み、恋人役がキム・ユンジン。チェ・ミンシクが北のテロリストを演じている。カン・ジェギュ監督は、「有名な俳優をキャスティングしつつ、他に2名ほどフレッシュな新人を起用すれば、安定感がありながらも陳腐化せず、新鮮味も感じられるような組み合わせになるんじゃないかと、当時は思ったんです」と振り返る。 ハン・ソッキュは、まだ映画俳優として韓国を代表する俳優だという肩書きまではなかったものの、徐々に大衆の間に浸透し始めて、俳優として今後成長していくと期待されていた。一方、テレビですでに活躍中だったチェ・ミンシクは、演劇で培われた力でいろいろなキャラクターを演じられる、いろいろな顔を持つ実力派俳優だと確信があったという。一方でキム・ユンジンはほぼ新人で、ソン・ガンホも『ナンバー・スリー No.3』(97)の演技に魅了された監督がオファーしたそうだが、まだメインキャラクターを演じるほどのステータスにはなかった。今考えるとカン・ジェギュ監督の先見の明に驚かされるキャスティングだが、驚くことに、新人時代のファン・ジョンミンも少しだけ出演している。 「正直、私も当時はよく存じ上げなかったんですよ。当時も今も同じようなやり方ですが、主演と助演の中間の役をキャスティングするときはほとんどオーディションなんですよね。なので覚えていないのだと思うんですが、それでもたぶん、他のどの競争相手と比べてもはるかに光るものを持っていて、シーンの雰囲気をしっかり反映してくれる役者だったんじゃないでしょうか」。 若々しい姿の中に現在の深みある面影も感じられるので、ぜひその目で探してほしい。 ■「オールド・ボーイは映画作家たちに刺激を与えた」 映画や音楽、ドラマなどK-コンテンツの世界的流行は、文化と共に朝鮮半島の政治や歴史を知る機会も格段に増えるなど、『シュリ』が製作されてからの25年で韓国映画を取り巻く環境は大きく変わった。 「私の考えでこう言っていいか分かりませんが、『シュリ』が韓国映画の新たな起爆剤になれて、その後質・量共に非常に大きく成長を遂げることができたことについては、私も韓国映画界に感謝し、やりがいを感じています。でも最近になって思うのは、韓国映画は誕生から今に至るまで、様々な危機とある種の成功がずっと繰り返されているのではないでしょうか。近年はパンデミックに遭い、新しい上映プラットフォームの登場によりやや危機を迎えているんですが、日本や他の周辺国、特にハリウッドと比較しても、私たちの国では(コロナ禍やOTTによる映画産業の危機からの)回復率が世界で一番低いんですよね。果たして今後以前のような状況に戻ることができるのか?そのためにはどのような努力が必要なのか?私たち映画界だけで考えて克服できる問題ではないのかなと思います」。 現実の朝鮮半島情勢は、いまも穏やかではない。2018年には韓国の文在寅大統領と、北朝鮮の最高指導者である金正恩による歴史的会談が行われたが、現政権は一転、強硬姿勢を貫いている。そんななかで『シュリ』は、改めて省みられるべき一本だ。ではカン・ジェギュ監督から見て、“韓国映画のターニングポイント”は何なのだろう。「本当に多くの作品があるので難しいんですが…」と前置きしつつ、『オールド・ボーイ(2004)』(03)と『パラサイト 半地下の家族』(19)を挙げた。 「韓国映画のジャンルや表現の多様性という側面から見ると、『オールド・ボーイ』は私たち映画作家に少し刺激を与えたのではないでしょうか。そして『パラサイト 半地下の家族』は外せないでしょう。 私たち含め世界中の映画人がなぜハリウッドに憧れるのかといえば、結局、ハリウッドで全世界の人々が皆で一緒に作った映画を見て、一緒に感じることに対する憧れと嫉妬なんですよね。自分の作品が世界に紹介される機会を、映画監督というものはほぼ全員切望しているのですが、これまでは空振りが本当に多かったです。韓国映画は英語では撮れないですし、文化的にも歴史的にも果たして全世界に通じる問題を撮れるのか、限界や難点がすごく多かった。しかし『パラサイト 半地下の家族』が、韓国映画は言葉や文化、歴史が違っても世界中が共有できるし、おもしろさや楽しさを分かち合えると証明してくれたのではと思います」。 ■「キャラクターを理解し、共感することによって観客と十分に気持ちが通じ合うことができる」 韓国映画をめぐる環境は変化する一方で、“映画を観る喜びと感動”の原点は時代を経ても普遍的だ。カン・ジェギュ監督のフィルモグラフィーを振り返ると、 スパイアクションである『シュリ』をはじめ、戦争ドラマ『ブラザーフッド』(04)、スポーツヒューマンドラマ『ボストン1947』(23)など実に多様だ。共通するのは、作品の登場人物の深い心理描写で、それが観客の共感を得る秘訣なのだろう。カン・ジェギュ監督が創作で最も大事にしてきたものを聞いた。 「シナリオを書くときも監督として演出するときも同じですが、もしある登場人物が私自身だと仮定したとき、それが完全に共感や理解ができないキャラクターだと耐えられないんですよね。私がキャラクターを理解し、共感することによって観客と十分に気持ちが通じ合うことができるだろうという確信があるんです」。 まさに長い経験で培った映画術だが、作り手としてはジレンマも抱えているという。 「すべての登場人物を私が理解し味方となる一方で、受け入れがたい登場人物をケアしなければならない場合もあるのです。 そのような部分ではある意味では少し矛盾が生じますよね。『キャラクターの多様性を守れなかったな』とちょっと自責の念に駆られることもあります。私が徹底的に共感して理解するキャラクターが作品の中でポジティブに作用したときは、それだけ没入度や理解度が高いのですが、観客の立場から見れば長所と短所があるのかもしれません。あるときは役に立つこともあれば、どうしたらいいのか?と考えてしまうこともあります」。 こうして悩みながらも進む姿勢こそが、ベテランでありながらも長く映画を撮り続けられる原動力なのかもしれない。 取材・文/荒井 南