【陸上】五輪内定の池田向希 世界歴代3位の大記録で示した成長の証「ベストな状態でパリへ」/日本選手権20km競歩
◇第107回日本選手権20km競歩(2月18日/兵庫県神戸市・六甲アイランド) パリ五輪代表選考会となる第107回日本選手権20km競歩が行われ、男子は池田向希(旭化成)が連覇を果たしてパリ五輪代表に内定した。 【動画】池田向希パリ五輪代表内定!世界歴代3位の歩き 「時計はつけずに出ました。どう勝ちきるかだけに集中して、後ろとのタイム差を意識して歩きました」 派遣設定記録(1時間19分30秒)を突破して優勝すれば即内定。ただ、池田はすでに派遣設定記録を突破しているため、3位以内に入れば2大会連続五輪を手中に収める状況だった。 序盤から最強にして最大のライバル・山西利和(愛知製鋼)がハイペースで飛ばした。5kmを19分14秒で通過。その集団に6人ほどがいるなか、「これを生かさないといけない。このペースで15kmまで行くと4、5人残りそう」。 ラスト勝負になれば何が起きるかわからない。「集団の中で余裕を持って歩いて15km以降の削り合いが優勝争いになる」。そう描いており、まさに池田の以前までの持ち味でもある“勝ちパターン”でもあった。 しかし、今の池田は違う。 「6kmあたりで自分が前に出た時に、周囲の反応を見ました。山西さんのペースが1、2秒落ちたところで、レースプランを変更しました。ペースを落とさずに、行けるところまで行く。ここでさらに上げてしまえば、周囲が苦しいのではないか。嫌がるレースをしよう」 自分でレースを組み立て、支配する。これは世界選手権で背中を見てきた山西から学んだことでもある。 池田の描いたように、後ろと一気に差が開く。時計を気にしていなかったが、10kmは38分16秒で通過すると、アナウンスが『世界記録ペース』と騒々しくなる。さすがに「意識しました」。それでも、「まずは落ち着いてゴールすることを第一に考えられたのは昨年よりも成長した点です」と言う。 単独歩となるなか、「ラストは少しペースが落ちた」と反省するも、世界歴代3位、日本人2人目の1時間17分切りとなる1時間16分51秒の大記録を叩き出し、2大会連続五輪となるパリへの切符を勝ち取った。 22年のオレゴン世界選手権では山西に敗れ銀メダルに。その後は練習環境を変え、1人でメニューを組み立てる決意をした。「自立しなければいけない」。特定の指導者を置かず、日本陸連や実業団の合宿で揉まれた。 ただ、基本的には1人で歩いていることから、この日の一人旅での3分50秒ペースも「いつも通り」で突き進めた。いろいろな意見があることは受け止めつつ、「勝つために」選んだ道を信じ、貫いた。 昨年の日本選手権で念願の初優勝。苦しい向かい風でペースアップして揺さぶりをかけて他を圧倒した。ただ、ブダペストに向けては「冬にケガや体調不良があって距離が踏めなかったため」調子を合わせることができずに14位に終わっている。 その反省から「今年は練習を継続すること。身体のバランスを見ながら、マックスを出すのではなく、我慢、我慢と言い聞かせてゆっくりでもいいから長い距離を歩いてきました」。土台を作った上で、世界トップクラスの高速ピッチとスピードを突き詰めてきた。 前回の東京五輪は銀メダルの殊勲も、「次は金メダルを取りたい」と思いを強くした池田。ブダペストでは、競歩にも押し寄せる厚底シューズの波と、“打倒・日本”を掲げてきた欧州勢の強さを目の当たりにした。「そう簡単にメダルを取らせてもらえないと思っています」。 次は集団の中で上げ下げのあるペースやハイラップを刻み、勝負を仕掛けなければならない。ただ、それこそ池田の生きるレースでもある。 「これでパリへのスタートラインに立てました。ここはあくまで通過点。状況を判断できるのが強みだと思っています。余力を残してラスト5km、3kmでメダルの色を決めたい。しっかり準備してベストな状態でパリに臨めば、2大会連続メダル、金メダルが見えてくると思います」 3年前とは違う、日本競歩のエースとして、堂々と花の都へと乗り込んでいく。
月陸編集部