建築家・辰野金吾は「唐津くんちと同じくらい誇り」…「7番」の新1万円札を出身地の佐賀県唐津市に誘致
「旧唐津銀行の名称だけでは、辰野の監修した建物であることがわからない。だからどうしても辰野の名前がついた別称が欲しかった。実現させるために、会員と一緒にJR唐津駅前で署名活動を行い、18年末から計90時間で約3200筆を集めた。今回の新札誘致は、これら一連の流れだと受け止めている」
――「7番」の新札を見ようと記念館の来館者が増え、市の重要な観光資源となっている。改めて、辰野金吾への思いを伝えてほしい。 「9月は24件、10月は16件、11月は19件の団体来訪があった。入館者は11月に4447人を数えた。〈ラッキー7〉とあって、『うわー、これすごいですね』と目にした人は喜んでくれており、『どんどんSNSで拡散して』と呼びかけている。いい広がりだ」
「唐津の先人が、東京駅や日銀本店など100年以上残っているすばらしい建物を建てられた。唐津人として、辰野金吾を唐津くんちと同じくらい誇りに思っている」
◆たなか・まさる=唐津市で生まれ育ち、岡山県内の大学を卒業後、唐津市内のリゾートホテルに勤務。法人営業を担当する傍ら、唐津くんちの曳山囃子(はやし)をホテルのステージで披露する職務を通じて古里の芸能や歴史に魅了された。2007年に唐津赤レンガの会の前身団体が発足した時からのメンバーで、17年に会長に就き、20年にNPO法人化。今年4月から辰野金吾記念館で嘱託で働き、来館者のガイドを担当している。
◆辰野金吾=旧唐津藩士の子に生まれ、1879年(明治12年)に工部大学校(後の東京大学工学部)を卒業後、イギリスに留学し建築を学んだ。赤レンガに白い石を帯状にめぐらせるデザインは「辰野様式」と呼ばれる。東京駅や日銀本店のほか、大阪市中央公会堂や武雄温泉楼門(武雄市)などを手がけた。旧唐津銀行は監修を担当し、弟子の田中実の設計で、1912年(明治45年)に完工した。