ラサール石井がコントをやらなくなったきっかけはダウンタウンの登場「そこからネタを作るのをやめてしまいました」
渡辺正行さん、小宮孝泰さんとともにお笑いトリオ「コント赤信号」を結成氏、『オレたちひょうきん族』などで活躍してきたラサール石井さん。近年は舞台のほか、ラジオ、映画、新聞のコラムなどで活躍中する彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】 ■【画像】コントをやらなくなったラサール石井、熱意を感じる瞳 漫才ブームの頃に売れたのは、とても幸運でした。まず今とはお笑いタレントの数が違います。当時はせいぜい30組程度でしたので、すっごく売り手市場でした。でも今は何千組といます。だから今のほうが全然、笑いも高度。僕らがやっていたことなんて、今と比べれば幼稚園児のレベルだと思いますよ。 舞台の世界に足を踏み入れたのは、早稲田大学に進学し、ミュージカル研究会に入ってからです。人が少なくて、1年生ながら作・演出を担当しつつ出演もするという経験をしました。それが演者もできるという自信につながって、喜劇の劇団であるテアトル・エコーの養成所に入ることに。ここで出会ったのが、その後、『コント赤信号』を組むことになる渡辺正行と小宮孝泰だったんです。 その後、縁あって、コメディアンの杉兵助に弟子入りし、渋谷のストリップ『道頓堀劇場』の幕間コントに出るようになりました。 その頃はお金もないし、師匠と4人で麻雀ばっかりやってましたね。小宮も僕も、「なんとか売れたい」という思いはあったのですが、後で知ったところでは、リーダーの渡辺は「一生このままでいい」と思っていたとか(笑)。 その後、スカウトされて『花王名人劇場』など高視聴率番組に次々と出られることがあって、『オレたちひょうきん族』にも起用されました。
ダウンタウンを見たとき「お笑いには、まだこんなやり方があったのか」
ビートたけしさん、明石家さんまさん、島田紳助さんなんて、テレビの中の人っていうイメージなので、一緒に仕事をできることになって、本当にびっくりしたのを覚えていますよ。 3人でのコントをやらなくなったのは、漫才ブームが終わったこともありますが、ダウンタウンが登場したのがきっかけとも言えますね。初めて見たとき、「お笑いには、まだこんなやり方があったのか」ってびっくりしました。大阪でダウンタウンとコント赤信号でライブをやったことがあったんですが、あっちはドッカンドッカン盛り上がっているのに、僕らが登場したら、シーンとなって……。帰りの新幹線で落ち込みましたよ。そこからネタを作るのをやめてしまいました(笑)。 その後、知的タレントみたいな枠でテレビ番組に出演させてもらうことにもなりました。当時、この枠は、僕と辰巳琢郎さんくらいしかいませんでしたので、ここもライバルが少なかった。あと問題もまだまだ簡単だったしね。今は、この路線も厳しいですよね。東大、京大、ハーバード出身のタレントだっている時代ですから。 お笑いをやっていく中で、演劇への夢も持っていました。赤信号では小宮が一番、そんな思いが強かったですね。そこで、赤信号劇団というものを始めます。初演では、まだ全く世に出ていない、後のダチョウ倶楽部の肥後克広、室井滋、近藤芳正なんかも出演しています。 ラサール石井(らさーるいしい) 1955年生まれ 大阪府出身。渡辺正行、小宮孝泰とお笑いトリオ「コント赤信号」を結成。『オレたちひょうきん族』などで活躍する。2015年『ヘッズ・アップ!』で第23回読売演劇大賞の優秀演出家賞を受賞。近年は舞台のほか、ラジオ、映画、新聞のコラムなどで活躍中。 THE CHANGE編集部
THE CHANGE編集部