「あいさつもできないほど」の吃音だった少年時代 落語で笑い誘う78歳、独学で稽古を重ね持ちネタは108席
長野県飯田市のアマチュア落語家「参流亭べら坊」こと平沢富招さん(78)が、自宅近くの居酒屋「よりあい処ほたる」を舞台に寄席を開いている。居酒屋を運営する地元のNPO法人「七和の会」から依頼を受け、2017年から開催。新型コロナ禍で4年近く中断したが、今年1月から再開した。店には常連客らが集まり、地域の盛り上がりにも貢献している。 【写真】居酒屋での寄席で常連客らに落語を披露する平沢富招さん
「何ならそこらに寝転がって聴いてください」。18日夕方、西日の差し込む店内で、平沢さんが約20人の客に語りかけた。ネタに入る前の「マクラ」で雰囲気を和ませると、講談を基にした古典落語「源平盛衰記 扇の的」を披露。1時間ほどの高座では、滑稽な表現を使ったり、話を脱線させたりして客の笑いを誘った。
この日の寄席は通算38回目。1月の再開以降では3回目となる。再開後、初めて訪れた常連客の高橋恵亮さん(81)は「大したもの。やっぱり生で聞く落語は面白い」と笑顔を見せた。
人前で話すことに自信が持てない時期長く
平沢さんは、飯田下伊那地域と接する旧静岡県水窪(みさくぼ)町(浜松市天竜区)の生まれ。家庭の都合で、就学前に都内へ移った。少年時代は「あいさつもできないほど」の吃音(きつおん)が悩みだった。成長につれて解消していったものの、人前で話すことに自信が持てない時期が長く続いた。
転機は40歳 独学で稽古を重ね…
転機は、都内で会社勤めをしていた40歳の頃。会社近くの寄席に通ううち、話すことに自信を持つために「人前で落語を一席できるようになろう」と決意した。古今亭志ん朝らの落語の録音を聴くなどし、独学で稽古を重ねると、いつしか落語そのものの魅力にとりつかれてどんどんネタを覚えていった。
20年ほど前、会社の倒産を機に「生まれ故郷の水窪に似ている」と以前から気になっていた飯田市に移住。その後、市内の落語愛好会に入った。小中高生らには落語を教えたり、地域や高齢者らの集まりで落語を披露したりしてきた。
「よりあい処ほたる」での寄席は、始めた当初は月1回のペースで開催。再開後は2カ月に1回開いている。「飯田は落語に接する機会が少なく、落語を聴いたことのない人も多い」と平沢さん。寄席を続ける中で「楽しみにしてくれる人が増えてきた」と手応えを感じている。
持ちネタは108席あるといい、これまでの38回の寄席では、全て違うネタを披露。昭和の時代に活躍したスターの生涯を語る新作落語も生み出した。「プロにも負けないことを、一つや二つはできるようになりたい。この情熱がなくなったら、ご臨終でしょう」と平沢さん。地域に笑いを届けるために、まだまだ腕を磨くつもりだ。