「死後のライブ」に大物芸能人が集まり「チケットは完売」...俳優の原田芳雄さん(享年71)が死の7日前に貫いた「わがまま」
家族や友人、病院の人にできるだけ面倒や心配をかけずに逝きたい―そう思っている人も少なくないだろう。しかし、俳優の原田芳雄さんの最期を知ればその考えは変わるかもしれない。 【写真】かつて死は日常に存在していた...100年前の『死後写真』が教えること 1つめの記事『余命3ヵ月「鼻に酸素チューブをつけたまま」大ネタを遂行...肺疾患で苦しんだ「笑点」の桂歌丸さんが最期になっても迷わなかったこと』より続く。
医師も認めた「わがまま」
'11年7月に71歳で亡くなった原田さん。その3年前に大腸がんが見つかり、少しずつ体を蝕んでいった。入院生活を送るなかで誤嚥性肺炎も発症し、点滴に頼ることとなった。誰もが「このまま最期を迎えるのだろうな」と感じていた。ところが……。 「亡くなる8日前の7月11日に、製作に携わった『大鹿村騒動記』という映画の試写会が行われたのですが、『僕はこの映画を皆さんに観てほしい。だから舞台挨拶に行く』と言い出したんです」 名優の最期について振り返るのは、息子の原田喧太さんだ。 「医師は『そんな体では、舞台上で挨拶をするなんて99%無理です! 』と猛反対したんですが、父・芳雄は『まだまだ俺はやりたいことがある。ここで終わりたくないんだ』と言って、断固として譲らなかった。その真剣さに胸を打たれたんでしょう、舞台袖まで医師や看護師さんが付き添う形なら、という条件付きでOKをもらったんです。 試写会当日、芳雄は妹が押す車椅子に乗って舞台に上がりました。往年の姿を知る人が見れば、やつれきったその顔に驚いたと思います。それでも、原田芳雄が来てくれた! とみなさん喜んでくれました。もちろん、一番嬉しそうだったのは本人でした」 「まだまだやりたいことがあるんだ」と語っていた原田さん。残念ながらこの舞台挨拶の8日後に亡くなった。それでも、舞台挨拶に反対していた医師さえ「見事な闘病生活でした」と感嘆するほど力強い最期だった。 歌手としても活躍していた原田さんはまた、大病を患ったあとも「ライブをしたい」と周囲に語っていたという。 「残念ながら生前に願いをかなえることは出来ませんでしたが、芳雄の死後、4年に一度ライブを開催しているんです。彼は2月29日生まれだったので、それにちなんで4年に一回。 今年の2月にも、『21回目の誕生日』を祝うライブを行いました。親交が深かった宇崎竜童さんや江口洋介さん、佐藤浩市さん、桃井かおりさんらが来てくださり、チケットは完売。皆さんが集まってくださるのは、芳雄が『もう一度ライブをやりたい』という意志を示していたからです」 周りに多少の面倒や心配を掛けてもいい。「これだけはやり遂げたい」という目標を持って残りの日々を過ごした人もまた、美しい最期を迎えられるのだ。 「週刊現代」2024年4月27日・5月4日合併号より 3つめの記事『「妻の仏壇に毎日花を供えて、手を合わせたい」1年前に奥さんを亡くした独居男性が「救急車は呼ばないで」と医師にも譲らなかった「最期の過ごし方」』
週刊現代(講談社)
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