昭和100年へ 昭和の鉄拳から生まれた愛と涙の伏見工伝説 山口監督熱血指導 荒れたラグビー部 日本一の軌跡(前編)
大雨の中、終了間際にトライを挙げた伏見工が18-12で花園に勝利。屈辱的な大敗からわずか1年での奇跡だった。
スタンドでは、山口の度重なる説得で入部した1年生の山本清悟(現奈良商工高教諭)が震えていた。
「先輩方が泥だらけになり、血を流しながら必死にボールを追っている姿が『美しい』と思った。自分もこういう経験をしたいと思った」
中学時代はオートバイを乗り回し、マージャンや花札に熱中。パチンコ店やスナックに出入りし、『弥栄のシンゴ』と恐れられていた少年は、こうして悪の道と決別する。
その後、ラグビーに本腰を入れるようになった山本は2年時にPRで高校日本代表に選ばれた。3年になった78年には2年にLO大八木淳史、1年にはSO平尾誠二と、後に日本代表で活躍する戦力がそろった。それでも、この年は全国大会予選決勝で花園高に6-12で敗れる。聖地・花園に行くには、まだ何かが足りなかった。(敬称略)
■伏見工ラグビー部
1959(昭和34)年創部。75年に日本代表FL山口良治・現総監督が監督就任。79年に花園に初出場し、翌80年に元日本代表CTBの故平尾誠二氏らを擁して初優勝。花園出場は20度で、優勝4度、準優勝2度。ほかにもLO大八木淳史、SH田中史朗、SO松田力也(現トヨタ)ら多くの日本代表を輩出。2016年、洛陽工との統合で京都工学院へ校名変更。17年までは「京都工学院・伏見工」で大会に出場していた。今冬、京都工学院として初めて、伏見工時代を含め9年ぶり21度目の花園に出場する。
■山口 良治(やまぐち・よしはる)
京都工学院高(伏見工から変更)ラグビー部総監督。1943(昭和18年)2月15日生まれ、81歳。福井県出身。若狭農林高1年でラグビーを始め、日体大卒業後は京都市役所などでプレー。日本代表のFL、キッカーとして活躍し、13キャップ。74年に体育教諭として伏見工高に着任し、翌75年にラグビー部監督に就任。79年に全国大会初出場を果たすと、監督、総監督として4度の全国優勝に導く。2013年、国際ラグビーボード(IRB、現ワールドラグビー)の「ラグビースピリット賞」を日本人で初めて受賞。愛称「泣き虫先生」。