巨人で現役13年の広岡達朗は名遊撃手にして名将 94~96年にはロッテで日本球界初のGMに
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第39回は広岡達朗。 * * * 広岡達朗は「名遊撃手にして名将」の名を欲しいままにした。 1932年2月9日、広島出身。呉三津田から早大に進み、54年入団。 1年目から華麗な守備でならし、レギュラーの座を得る。打率・314(リーグ6位)、15本塁打、67打点で新人王、ベストナインも獲得した。 長嶋茂雄とは鉄壁の三遊間を組んだが、打席の時に長嶋が単独のホームスチールを仕掛け、それを広岡が知らないサインだったこと。また、ルーキーの時に一塁守備を公然と批判するなど、川上哲治監督と確執が深く、65年には先発で87試合に出場するほどだったにもかかわらず、翌66年は出場機会が激減し、その年限りで引退。現役生活は13年だった。 広島、ヤクルトでコーチを務めた後、ヤクルト監督に就任し78年、日本一に輝く。 82年からは西武監督となり日本シリーズを連覇。83年は古巣・巨人を倒しての栄冠で名将と称された。85年はリーグ優勝を果たすが日本一を逃し、辞任した。 94~96年は、日本球界で初めてのGMをロッテで務めた。92年に野球殿堂入り。
報知新聞社