失うものは何もない男の最後の言葉が胸を打つ『ヒトラーへの285枚の葉書』
映画などで繰り返し語られる戦争の残忍さと虚しさだが、第2次世界大戦下のドイツナチスをテーマに描かれる作品は、とりわけ強いメッセージ性を持っている。 7月8日公開の『ヒトラーへの285枚の葉書』は、今まであまり語られてこなかった、ごく平凡な労働者階級の夫婦によるナチス政権への抵抗を描いている。 原作はドイツ人作家ハンス・ファラダがナチスの親衛隊(ゲシュタポ)記録文書を基にわずか4週間で書き上げたと言われる『ベルリンに一人死す』(。初版出版は1947年で60年を経た2009年に英訳され、世界的なベストセラーとなった。
息子を戦争で殺された労働者階級の夫婦の怒りと悲しみ
冒頭、一人の若いドイツ兵が森の中を逃げ惑う。やがて彼は敵に囲まれ、撃たれて亡くなる。フランスがドイツに降伏した1940年6月、ベルリンで慎ましく暮らすオットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のクヴァンゲル夫妻のもとに息子の戦死を伝える一通の手紙が届けられる。心のよりどころを失ったアンナは悲しみに暮れ、盲目的にナチスを信用する人々に怒りを覚える。オットーはただ一人死んでいった息子の無念を静かに燃えさかる青い焔のごとき怒りに昇華させていく。オットーが手にする武器は、ペンと葉書だった。 「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」 葉書に指紋をつけないために手袋をして、筆跡がわからないように直線的な文字で丁寧に書いては、そっと誰かに拾ってもらえそうな場所に置いて立ち去る。オットーの静かなる怒りの行動が、やがてアンナをも動かす。最愛の息子を奪われた二人はこの葉書を誰かに届けることに生きる目的見出すのであった。 些細な抵抗がやがてゲシュタポや警察を翻弄し、迫り来る追っ手をかわすという、スリリングな展開に固唾をのむ。ナチスに異論を唱えたくても、恐怖心とその強大な力を前に屈して、自らを間違った方向に行動させてしまう者もあった。