「学歴フィルター」はそもそも問題なのか?
大学名に加えて個性をみる時代
学生向けの就活情報媒体では「大学名だけで評価される時代は終わった。一人ひとりの就活力で勝敗が決まる」と決め手としての個性が強調されています。一流大学に入学しても、就職活動がうまくいかなかったり、下位大学の出身者に逆転されたりすることは実際にあります。入学した大学は変えられませんが、個性ならば在学中に伸ばすことができますから、大学生にしてみればそこに期待して自分を磨くわけです。 ただし昨今いわれている個性重視の内実は、大学名に代えて個人の資質が見極められるようになったということではなく、大学名に加えて個人の資質まで見極められるようになったということです。企業側は本音では大卒層40万人が一様だとは決してみてはおらず、表立ってはいわれなくても大学ランクはやはり有効です。 就活生の側の言い分は、「エントリーのチャンスくらいは平等に与えてくれ。門前払いは不公平だ」ということです。各社の人事担当者は一見とても優しく丁寧に、就活生を「お客様扱い」しますから、客として買い物をするときと同じように、平等に扱ってくれるものだと考えるのかもしれません。しかし就活生は3年前ほど前には、わずかな入試偏差値の差に敏感な受験生であったはずで、その時点では大学名によるさまざまなメリットの違いがあることを前提に、激しく競い合っていたわけです。にもかかわらず、就活は一斉に横並びでというのは矛盾があります。 採用にあたって「学歴不問」を明言して、それをコーポレート・イメージとしている企業が「学歴フィルター」を設定しているとすればさすがにそれは問題です。けれども営利企業が正社員を選ぶ大切な局面では、温情とは別の判断がなされるのはいわば当たり前です。翻っていえば、見込みのない企業との接触が思わせぶりに進行してから結局切られるよりも、はじめにバッサリ切られるほうが痛手は少なく、自己分析をして戦略を立て直す契機にもなるといえます。40万人が人生を賭ける就職活動が、小中学校の学校行事のようにみんなに平等で公平なイベントであるべきだと考えている学生がいるとすれば、それは少し残念なことです。 ---------------- 吉川徹(きっかわとおる) 大阪大学人間科学研究科教授 専門は学歴社会論。著書に『学歴分断社会』などがある。