【被爆80年】若い世代の発想で “新スタイルの平和発信” 被爆者のバトン受け継ぎ目指すこと《長崎》
原爆投下後、被爆者の救護所が設けられた茂木地区。 遺体は近くの海で荼毘に付され、まちには原爆慰霊碑が建立されています。 茂木中学校ではこれまで、地元でも課題となっている “国が定める被爆地域” の外で原爆にあった「被爆体験者」についても学んでいます。
また 地区内などの被爆遺構巡りを行ったりと、積極的に平和学習に取り組んできました。 (小宮 伸二教諭) 「平和教育は、命の教育だと思っている。自分の命も他人の命も大事に大切にするかけがえのないもの。長崎で何があったのかということは、きちんと伝えていきたい」 平和の種は、芽吹いています。
茂木中で去年立ち上がった「MIRAI」というプロジェクト。 (生徒) 「平和を発信することには変わりないので、大規模に他県や全国的に発信できたらいい」 1年生から3年生までの18人のメンバーで活動しています。
“原爆の惨状” と “今” や “未来” を描いた2メートルを超える壁画や、オリジナルデザインの平和Tシャツの制作のほか、平和ソングもつくりました。 作詞作曲は全て生徒が手がけ、中学校のホームページで発信しています。 (濵口 晃実さん) 「大規模な戦争をしてきて、そこから学んで今の生活を少しでも、より平和な方向に頑張っていくという思いを込めている」
この日 MIRAIのメンバーは、核兵器廃絶を目指して活動している “高校生平和大使”らのもとへ。 (中学生) 「Tシャツを売って出た利益を、高校生平和大使のみなさんへ。平和のために役立ててほしくて持ってきた」 イベントなどで販売したTシャツの売上金、約5万円を目録として手渡しました。
(高校生平和大使 大原 悠佳さん) 「もっと関心を持ってくれている若い人たちと一緒に手を取り合い、小さな力を大きな力にしながら一緒に活動したい」 MIRAIのメンバーも署名活動に参加し、自らが『平和の担い手』となる決意を新たにしました。