私の居場所は朝市 輪島市鳳至町下町の遠島さん
逃げ込んだ3階建てビルの屋上から、家を次々とのみ込んでいく大火を見ていた。河原田川をはさんで目と鼻の先。そこは遠島(とおしま)孝子さん(62)が38年間ほぼ休むことなく店を出してきた輪島朝市だ。「なんで消防車がこんのやろ。みんな無事やろうか」。あの日、荒れ狂う炎の前で祈ることしかできなかった。 ●お客がいるから どんなに天気が悪くても、コロナ禍で観光客が少なくても、「一人でも待っているお客さんがいるなら」と店を開けてきた。焼け野原と化した「職場」一帯を見渡し、あきらめ顔でつぶやいた。「こんなに休むのは初めてや」。 1月1日は娘3人が家に帰ってきていた。夕飯はみんなが大好きなすき焼きとローストビーフでもてなそうと準備していた時、地震がきた。午後4時6分の1回目の揺れですぐにガスとストーブを消し、外へ飛び出した。 4分後、家に戻ってさらに大きな揺れに見舞われた。急いで逃げ、揺れが収まり振り返ると、自宅が壊れていた。ぼうぜんとした次の瞬間、娘が叫んだ。「大変やお母さん、津波が来るよ」。自宅は輪島漁港から数十メートル。朝からお酒を飲んでいた夫を娘が引きずるように玄関へ。やっとのことで車に乗せて高台を目指したが、渋滞で進まず。車を乗り捨て、いろは橋に近い「フレッシュしんぼ」の屋上に駆け上がった。 ●海外からも励まし 地震から1カ月が過ぎ、今は輪島市内に住む娘の家に身を寄せる。県内外、海外からも「おばちゃん、待ってるよ」と励ましの言葉が届く。そんな絆を思えば、遠島さんは「日に日に元気になる」と笑った。 「輪島朝市の名を守りたい。夢物語かもしれないけど、私の居場所は朝市。また、ここで働くことがすごく楽しみ」。地震は多くを奪い去ったが、朝市で育まれた心意気は消えてはいない。