“核のごみ”最終処分場めぐり議論 審議特別委員会開催はわずか2回 原発と共に半世紀“原発の街”佐賀・玄海町の判断は?
今から半世紀近く前の1975年に営業運転を開始した原子力発電所と共に生きてきた町、佐賀県北西部の玄海町。玄界灘に面した人口5,000人ほどの小さな町で今、原子力発電をめぐる大きな議論が沸き起こっている。 【画像で見る】最終処分場選定の流れ
“原発と共存する町”で巻き起こる議論
4月25日午前8時前。玄海原発で働く作業員らを乗せた車両が、続々と施設内に入っていった。 上田利治町議会議長(玄海町議会 4月15日): 高レベル放射性廃棄物の最終処分にかかる文献調査への応募についての3件を、一括議題と致します 原発から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の最終処分場をめぐり、その設置場所を選ぶための調査を受け入れるよう求める請願が、町の“有志”から議会に出されたのだ。 玄海原発から市内の一部が30km圏内にかかる福岡県西部・糸島市の市民は、不安な気持ちを隠せないでいる。 「ドキッとしました。核のごみは増やしてほしくない。できれば減らす方針を出してほしい」、「どこに行っても反対は反対だけど…」などと話す糸島市民。また、「どこかが、せんとね(しないとね)。同じ日本だから、やっぱり考えないといけない」と、一定の理解を示す人も、その胸中は複雑だ。 国の指針に基づき、佐賀県や長崎県と合同で原発事故に関する訓練を重ねてきた福岡県の服部誠太郎知事は…。 福岡県・服部誠太郎知事(県庁 4月26日): 賛否両論ある中で、町長(脇山伸太郎・玄海町長)におかれては、大変難しい判断を求められていると思います。町長のご判断をしっかりと見守って参りたい 原発立地自治体の「責務」として調査の受け入れを求める賛成派と、議論が足りていないと訴える反対派。原発と共存する町で一体何が起きているのか。
「文献調査」受け入れで最大20億円の交付金
玄海原発をはじめとした原子力発電所では、発電に使われたあとに出る使用済み核燃料が施設内のプールで一時的に保管されている。 しかし、使用済み核燃料は溜まり続ける一方で、玄海原発の貯蔵プールは8割以上が埋まっている状態だ。 その後、最終的に残る、いわゆる「核のごみ」は、強い放射線を長期間にわたって放出し続けることから、分厚い金属の容器に入れたうえで地下300メートルよりも深い地中に埋めて、最終処分することが法律で決まっている。 しかし、その「処分場」は日本のどこにも存在せず、場所の選定すら進んでいない。 場所の選定にあたっては、3つの段階を踏むことになっている。第一段階の「文献調査」は、過去の記録などをもとに火山や断層の活動状況などを約2年かけて調べるというもので、調査を受け入れれば、最大20億円の交付金が町に給付されることになっている。 玄海原発から徒歩圏内のエリアには、作業員らが多く利用する旅館や飲食店が集まっていて、これらの組合などから文献調査を受け入れるよう求める請願が出された。 旅館業組合(請願書): 作業員の数も減少して経営的に厳しい状況にある 玄海原発の1号機が廃炉になった2015年以降、原発関連で働く作業員の数は減少し、周辺の旅館や飲食店は厳しい経営状況に陥っているという。 飲食業組合(請願書): 新たな産業振興策における選択肢のひとつ 飲食業組合の代表は、「このままでは町は廃れていってしまう」という危機感を抱え、調査受け入れが新たな産業振興につながってほしいとの思いで請願を出したと話す。