【記者ルポ】能登地震1カ月 深い悲しみ 夕刻の光に追悼の祈り がれき手つかず 前を向く住民も
能登半島地震が発生した時刻に合わせ、被災者らが夕刻の光に追悼の祈りをささげた。北陸の地を最大震度7の揺れが襲い、多くの命が奪われてから1日で1カ月。姿を変えた土地で、避難所で、手を合わせた人々は家族や友人らへ思いを巡らせた。今もがれきが山積みのままで、避難生活は続く。それでも、住民らは住み慣れた古里で日常を取り戻そうと懸命に前を向く。(報道部・小山大介) 1日現在、津波の被害を含め101人の死亡が確認された珠洲市。地震発生時刻の午後4時10分、全壊した銭湯の前で経営者らが手を合わせていた。線香をたき、お経を唱えている。常連客の高齢男性1人が入浴中に、建物の倒壊により犠牲になったという。経営者の男性の顔には、深い悲しみと疲労の色がにじんでいた。 市内では5228戸の家屋が損壊し、沿岸部には最大4・7メートルの津波が押し寄せた。被害が甚大だった市内宝立町鵜飼地区の海岸沿いでは、津波で流されて基礎だけが残った家屋や横転した車、手つかずのがれきが目立つ。強い揺れの影響で海岸が隆起したのか、所々に数十センチの段差がある。住民の多くは避難し、姿はあまり見えない。
建物の一つに「営業中」の看板がある。美容室だ。地震で実家兼店舗が全壊した岸田孝子さん(52)は、3軒隣の建物を間借りし、1月29日から営業を再開した。電気、水道とも復旧しておらず、キャンプ用のライトなどを代用している。常連客らが避難所から足を運ぶという。岸田さんは「今は気を張っているが心が折れないよう、できることをマイペースにやっていく」と気丈に語った。 被害が大きい地域の復旧は1カ月が経過した今も進んでおらず、東日本大震災発生後の本県の姿と重なる。長引く避難生活に疲弊する人も増えている。二次避難や仮設住宅の建設など、被災者の心安まる生活の確保が急務となっている。