【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第4回)「神田川」以前のかぐや姫
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】かぐや姫 ほか 第4回「神田川」以前のかぐや姫 「かぐや姫のメンバーとして東京に来ないか?」 当時こうせつさんは、南こうせつとかぐや姫という、いわゆる第一期かぐや姫をやっていた。その第二期のメンバーとして僕を誘ってくれたというわけだ。驚いたし、渡りに船だ、とも思った。即答はしなかったけど、その時点でもう心は決まっていた。あとは父親をどう説得するか……。 とにかく東京に出てしまえばなんとかなると思った。それで大学進学を口実に上京することにした。僕が入学したのは千葉にある大学だったのだが、大分の田舎育ちの人間からしたら──あくまでその当時の感覚ではあるが──東京も千葉も同じようなものだろう、そんな地理感覚だった。ところが、下宿のあった場所はとんでもない田舎だった。最寄駅は本八幡駅なのだが、そこから小一時間くらい延々田畑のなかを歩いてようやくたどり着くようなところだった。結局、かぐや姫の活動がすぐに始まったので、そこには3カ月ほどしかいなかったのだが。 かぐや姫というグループに多くの人が抱くのは、四畳半フォークと呼ばれる音楽性からイメージされる、ちょっと湿っぽくてシリアスなものではないかと思う。それは圧倒的に「神田川」のヒットによるところが大きい。しかし、僕の入った当時のかぐや姫(1971年)は、第一期のスタイルを継承したコミックバンドだった。リヤカーを引いてちり紙交換のプロモーションを賑々しくやったり(笑)、ステージでメンバーのひとりが扇子を持って踊ったり、僕はそのなかで一番年下のいじられ役だった。