「資本主義」よ、さらば…! まもなく「お金を稼がなくても暮らしていける世界」がやってくる
「お金を稼がなくても生きていける世界はつくれるのか?」――。こんな資本主義経済の“急所”をつくような大胆な問いに、いま果敢に挑むプロジェクトがある。「ハートランドプロジェクト」と呼ばれるものがそれで、「哲学×ブロックチェーン」で贈与経済をアップデートしようとする試みだ。 【写真】これから給料が「下がる仕事」「上がる仕事」全210職種を公開…! 発起人は慶応義塾大学文学部教授の荒谷大輔氏。哲学・倫理学の専門ながら、冒頭の問いを机上の空論では終わらせずに、ITエンジニアやプロジェクトマネージャーなどさまざまな専門家を巻き込みながら社会実装を進めている。 実は今春から、東京・高円寺と石川・白峰の2拠点でトヨタ財団の支援を受けた「贈与経済2.0」の実証実験が始まる。前回、前々回の記事では「贈与経済2.0」の仕組みを見てきたが、では、「お金を稼がなくても生きていける世界」が実現するとき、実際にそれはいったいどういう世の中になるのか――。著書『贈与経済2.0』(翔泳社)から紹介しよう。
資本主義経済「一択」の社会で、いいのか…?
私たちが「近代社会」と呼ぶものはほとんど資本主義経済の浸透によって実現しているのでした。 「自由」「平等」「民主主義」など「近代社会」を特徴づける概念はたくさんありますが、それらはすべて資本主義経済のシステムとして実現したものでした。 ルソーによる「もうひとつの近代社会」の構想を別にすれば、「近代社会」とは自由競争と奴隷解放、市場原理の徹底としての「道徳の民主主義」を意味するものと考えることができたのです。 つまり、ある意味で「近代社会」と呼ばれるものは、すべての人々が資本主義経済にコミットすることで実現するものだったということができます。 別な経済の中で生きる選択肢ができることで、その枠組みはどう変化しうるのでしょうか。
「フェア」「責任」「常識」「道徳」…
資本主義経済は「個人の自由」を認めるものである一方で、システム全体での「よい/悪い」を一元的に決定する仕組みでもありました。 市場原理による価値の判断が自由競争の結果として「フェア」なものであり、各人はその結果を自己の責任において引き受けなければならないという「道徳」が共有されました。 別の経済の中で生きる選択肢ができることで、これまで一元化されてきた資本主義経済の「道徳」が相対化されていく可能性が出てきます。 新経済が浸透していく段階では、資本主義経済の「道徳」も一定程度以上、なお尊重されながら他者関係を規定する規範として機能するでしょう。 しかし、新経済の中だけで生きる人々が増えてくれば、資本主義経済の「道徳」を社会全体で一元化することができなくなっていくと予想されます。 資本主義経済の「道徳」を一元化できなくなると、これまで私たちが「常識」として他人に押し付けてきた規範が弱くなるかもしれません。贈与経済2.0が資本主義経済と平行的に社会に浸透している状況では、人々は必要な限りで「お金」を稼ぐことも続けることでしょう。 その限りで資本主義経済の「道徳」は守る必要があるので競争原理が人々に厳しいルールを課す状況は存続することになります。資本主義経済においては何をやっても「自由」であるはずですが、市場原理の「道徳」から外れた行為をすると「お金」を得ることはできないので、そのために人々は他者が一定のルールを守ることを期待できる社会になっていたのでした。