斎藤知事が「誹謗中傷」を語る違和感
「盛っている」で済ませてはいけない
今回の知事選で斎藤知事を支援したPR会社の社長が「note」にレポート記事を公開、その内容が事実ならば公職選挙法に抵触すると問題視されている。記事は部分的に削除されており、当のPR会社の社長は黙り込んだまま。斎藤知事はこの件についての細かな言及を避け、斎藤知事の代理人弁護士による会見では、「(社長が)盛っているという認識」との言い分に終始した。だが、検証が必要なのは、「盛っている・盛っていない」ではなく、この記事か、知事側か、いずれかが嘘をついているという根本の部分だ。 「盛る」とは「大げさに飾り立てる」意味を持つ言葉であり、「事実無根」を意味するものではない。もし、あの記事が事実無根ならば、まさしく「誤った情報の安易な拡散」を許している状態になるのだから、斎藤知事は徹底した姿勢で、事実がどうであったのか、説明しなければいけない。 何年も前に書かれた記事、すでに連絡が取れない人が書いた記事、というわけではない。つい先日まで一緒に動いていた人の文章である。ガーシー議員と立花氏がタッグを組んでいたように、PR会社の社長と斎藤知事は一緒に動いていた。どこがどのように間違っているのか、「盛っている」ではない立証が求められる。それをすれば、自分への疑念を払拭できる。なぜ、それをしないのだろうか。もしかして、できないのだろうか。 1年前、SNSの拡散によって生まれた「辛い状況に置かれているという状況」を問題視していた斎藤知事。PR会社の社長は現在、まさにその状況に置かれていると想像されるが、なぜ、そのまま放置するのだろうか。そして、「オールドメディアが伝えない真実」に気づいたらしき人たちが、この件については「真実」にたどり着こうとせずに「盛った」で済ませているのはなぜなのだろう。 武田砂鉄 1982年生まれ、東京都出身。 出版社勤務を経て、2014年よりライターに。近年では、ラジオパーソナリティーもつとめている。『紋切型社会─言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、のちに新潮文庫) で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著書に『べつに怒ってない』(筑摩書房)、『父ではありませんが』(集英社)、『なんかいやな感じ』(講談社)などがある。10月8日、新刊『テレビ磁石』(光文社)を刊行した。 文・武田砂鉄 編集・神谷 晃(GQ)