桃田賢斗、「しんどいことだらけだったが誇らしい10年」代表引退表明 違法賭博、交通事故、五輪メダル無縁…波乱の代表活動も「感謝」
バドミントンの男子シングルスで元世界王者の桃田賢斗(29)=NTT東日本=が18日、都内で記者会見し、団体戦のトマス杯(27日開幕・中国)を最後に日本代表から引退することを表明した。18年世界選手権で日本男子初優勝し、同年に男子初の世界ランク1位にも君臨。一方で違法賭博への関与、交通事故に遭い、21年東京五輪では1次リーグ敗退と五輪メダルとは縁がなかった。 涙なしのすがすがしい会見だった。黒のスーツ姿の桃田は起立し「感謝を伝えたかった」と一礼した。3月にパリ五輪選考レースで2枠に入れず出場権が消滅。20年の交通事故から約4年間、苦しみ続けた29歳は葛藤の末、2月のアジア混合団体後に決断した。「思うように(羽根は)見えないし、体も動かせない。もう世界一を目指すところまでいけないと判断した。後悔はない」と言い切った。 縦横無尽に走り回り、巧みなラケットさばきで堅守が持ち味だった。18年世界選手権シングルスで日本男子初V。同年9月には同初の世界ランク1位に立った。その後、3年2か月間頂点に君臨し、絶対的エースとして一時代を築いた。20年の事故はそんな中でのアクシデントだった。右目の眼窩(がんか)底骨折で手術。「思い描いているプレーとできることのギャップ」に苦悩した。22年ジャパン・オープン初戦敗退後には現役引退も考えた。それでも「バドミントンが好き」との思いが、10年以上の代表活動を支えた。「しんどいことだらけだったが、誇らしい10年」と胸を張った。 五輪メダルとは無縁の世界王者だった。16年に違法賭博に関与し、同年のリオ五輪は出場停止。世界ランク1位で初出場した東京五輪も交通事故の影響で、1次リーグ敗退。「悔しい思いしかない」と振り返る。 今後も現役は続け、国内のS/Jリーグなどに参加しながら「恩返し」の日々が始まる。「動けるうちに子供と羽根を打つ時間が欲しい」ことも今回の決断を後押し。「楽しさを感じてもらえる活動をしたい」と3月に中学、高校時代を過ごした福島で教室を開催。日本代表最終戦は、14年に初優勝した思い出深いトマス杯だ。「集大成なので貪欲にコートの中を動き回りたい。泥臭いプレーを見ていただけたらいい」。桃田らしいプレーで日の丸に別れを告げる。(宮下 京香) ◆桃田の交通事故 20年1月13日、マレーシア・マスターズから帰国のため、クアラルンプール空港へ向かうワゴン車が高速道路で追突事故。運転手は死亡し、桃田は顔面3か所に裂傷を負って全身を打撲。治療を受け、15日に帰国した。帰国後の精密検査で異常は見られず、2月4日に代表合宿で練習再開。「シャトルが二重に見える」と申告し、再度検査の結果、右眼窩底骨折が判明。手術を受け、29日に所属で練習再開した。 ◆桃田に聞く ―代表生活を振り返って。 「多くの人に迷惑をおかけした。ここまで続けてこられたのも、周りの人の支えや応援のおかげ」 ―印象に残った大会は。 「18年のジャパン・オープン初優勝。16年の出場停止処分から正直、応援されないのでは、とネガティブな気持ちもあった。でもコートに立つと、多くの人に応援していただき、いつも以上の力を出すことができたことをすごく覚えています」 ―18年、19年世界選手権2連覇など功績を残した。 「自分でもびっくりするぐらい。僕なりにバドミントンを追究していく中で運も味方してくれて、こういう結果を出すことができた」 ―11年の東日本大震災を経験し、被災地への思いは。 「活躍することで、復興に少しは貢献できたかな」 ―私生活でやりたいことは。 「自動車免許を持っていない。取って車に乗りたい」
報知新聞社