沖縄戦の牛島司令官「辞世の句」再び掲載強行 陸自15旅団サイト
陸上自衛隊第15旅団(那覇市)は1日、沖縄戦を率いた日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句の掲載が問題になっていたホームページ(HP)を更新した。県民の批判を受け、辞世の句を大きな文字で目立たせていた画像を昨年10月末にいったん取り下げていたが、部隊史の画像をそのまま載せる形で異論の強い辞世の句を再掲載した。 【写真】HPに掲載された辞世の句 15旅団総務課は1日、見直しの理由について、「(辞世の句掲載に)さまざまな意見があった。2027年度までに(旅団から)師団になるにあたって県民の理解が不可欠だ。歴史的背景も知ってもらうため、当時の資料をそのまま示すことにした」と取材に説明した。
「日本軍と一体性はない」
また、日本軍と15旅団の連続性については、「あくまで自衛隊は日本軍とは別物で、一体性はない」と否定した。 問題になった辞世の句は、沖縄戦で住民を巻き込む「南部撤退」の命令を決定した牛島司令官が1945年6月18日、「決別電」と合わせて陸軍首脳に向けて発したもの。「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」は戦場となった島が「皇国」の下でよみがえることを願う内容だ。
体験者ら批判、いったん取り下げ
15旅団は沿革を紹介するページに、前身の臨時第1混成群の桑江良逢郡長の1972年5月の訓示と共に「牛島軍司令官辞世」と書かれた画像を紹介していた。2024年6月の琉球新報の報道で表面化した後、沖縄戦の体験者や研究者を中心に批判が相次ぎ、同年10月末に「HPリニューアル」を理由にいったん取り下げていた。 今回のHP更新で、新たに掲載したのは、1972年度の「臨時第1混成群史」の桑江郡長の訓示部分。訓示の後に「秋待たで 枯れゆく島の青草は 御国の春に よみがえらなん」と書かれている。 15旅団総務課はHP更新にあたり、実際の訓示の際に辞世の句が詠まれたのかを確認したが、「はっきりしなかった」という。また、部隊史には「御国の春」と書かれていたのが、「皇国の春」と掲載していたのは、外部からの指摘を受けて、15旅団のHP担当者が2019年7月に変更していていたという。 15旅団の歴史認識を巡っては、牛島司令官の軍服などを飾ってきた那覇駐屯地内の広報資料館の展示内容も問題になっている。資料館はリニューアル中で、再開時期はまだ決まっていないという。(南彰)
琉球新報