プーチンのウクライナ侵攻の言い分が、「典型的なDV男」と瓜二つなワケ
● ハンガリー、チェコへのソ連軍の侵攻を 「大きな過ち」とプーチンは語っていた ロシアがスラブ世界の盟主だというプーチン氏の世界観の源流は、帝政ロシア時代にさかのぼることができる。 一方で、近隣国を勢力圏に置くためには武力行使をためらわないという手法は、ソ連を思わせるものだ。 プーチン氏はかつて、正反対の考えを述べたことがある。それは2000年、プーチン氏が大統領に就任する直前に行われたインタビューだ。 1956年にハンガリーの民主化運動にソ連軍が介入して鎮圧した「ハンガリー動乱」や1968年に当時のチェコスロバキアで進められた改革運動「プラハの春」をソ連軍がつぶした歴史についてインタビュアーに問われたプーチン氏は、以下のように答えていた。 「私が見るところ、これらは大きな過ちだった。私たちが今、東欧でロシアへの憎悪に直面しているのは、こうした過ちの結果なのだ」。 まったく、今のプーチン氏に読んで聞かせたくなるセリフである。 もちろん、このインタビューは、プーチン氏にとって初めてとなる大統領選に向けたキャンペーンの一環だったという背景は押さえておく必要がある。 とはいえ、外国への武力による介入が憎悪しか引き起こさないことを十分理解していたことを、プーチン氏の発言は物語っている。 プーチン氏は子供のころからスパイにあこがれ、大学卒業後は旧ソ連国家保安委員会(KGB)でキャリアを積んだ。東ドイツで勤務中もNATOを「主たる敵」と位置づけ、動向に神経をとがらせた。 その後、ベルリンの壁崩壊後の混乱の中でロシアに帰国したプーチン氏は、サンクトペテルブルクの改革派副市長へと変身し、欧米企業の誘致に奔走した。 だが今のプーチン氏からは、こうした開明的な側面は感じられない。KGB時代そのままの欧米への敵意に加えて、硬直した世界観に取り憑かれて「ロシア世界の復興」を自らの歴史的使命と思い込んでいるようなのだ。 プーチン氏の「変質」を強く感じさせるのは、今回の戦争の始め方だ。