『ブギウギ』は東京大空襲をどう描く? 映画、ドラマで描かれた戦時下の日本を振り返る
現在の朝ドラ『ブギウギ』(NHK総合)が描いているのは戦時下の日本。ヒロイン・スズ子(趣里)らが生活拠点を置くのは東京であるため、間もなく“あの日”が訪れることになる。そう、東京大空襲だ。 1945年3月10日ーー日付けが変わったばかりの頃、アメリカ軍の爆撃機・B29によって東京東部の「下町」と呼ばれるエリアは焼け野原となった。これを映画やドラマはどのように描いてきたのだろうか。 【写真】防空壕に逃げるスズ子たち(複数あり) 戦争で両親を亡くし戦災孤児となったヒロイン・なつ(広瀬すず)がアニメーターになるべく奮闘する姿を描いた2019年度前期の朝ドラ『なつぞら』は、第1話から東京大空襲を描いていた。 同作の前半部は、なつが北海道・十勝の大自然に囲まれて育つ様子が紡がれていく。だから第1話は広大な草原の真ん中で、彼女がキャンバスに向かうシーンからはじまった。ずいぶんと牧歌的で微笑ましい光景である。ところが一転。なつの語りとともに、彼女が東京で空襲に遭った様子が映し出される。 本作が特別だったのは、「アニメーター」が主人公の作品とあって、無慈悲な空襲がアニメーションにより描かれていたこと。なつの視点で語られるそれは、戦禍の酷たらしさや生々しさよりも、かつての少女がただ眼前のできごとに呆気に取られている姿を映し出していた。 少女視点のこの光景を映し出すのならば、アニメーションで比較的ソフトに描くのは、かえってリアリティがある。とはいえ、東京大空襲がどんなものかをそれなりに知っている者からすれば、十勝の牧歌的な光景が映し出された直後のこの展開はショッキングだったに違いない。 東京大空襲による死者は10万人ともいわれている。それも、空襲がはじまって2時間半ほどの間にだ。B29が搭載していた焼夷弾にはゼリー状の油が充填されており、着弾すると一瞬にして燃え広がる。当時の下町の家屋は木造で密集していたのだから、それがどのような広がり方をするのかは想像に難くないだろう。しかもこれがとんでもない数、火の雨のように降り注ぐ。 東京は浅草・浅草寺の境内の中にはたいして間隔を空けずにイチョウの木が並んでいたりするが、いずれも根元から黒ずんでいる。燃えた跡だ。木と木の間はほんの数メートル。それぐらいの数が降り注いだことを物語っているわけだ。これでは逃げ場などありはしない。誰もが一度は下町一帯が焦土と化した写真を見たことがあるはず。想像したくはないが、想像しなければならない。 たとえば現在公開中の『ゴジラ-1.0』には、焼け野原となった東京に主人公・敷島浩一(神木隆之介)が帰ってくるシーンが収められているが、実際はこれよりももっと酷かったはず。たびたび映画やドラマで目にしてきた無惨な光景ではあるものの、現実にはいまの私たちの想像を遥かに凌駕するものだったのだ。 佐田啓二と岸惠子が共演したメロドラマの傑作映画『君の名は』は、3月10日以降の東京での大きな空襲の夜から物語がスタートする作品だ。終戦から10年も経たないうちに製作されたものとあって、当時の空気感をもっとも丁寧に取り込んだ映画かもしれない。私たちはあの当時の現実を知り、空気に触れ、学ぶ必要がある。エンターテインメント内のできごととして描くのだからしかたないのかもしれないが、こういった大きな悲劇はドラマのトリガーとして安易に扱われがちな側面があると思う。いや、事実そうだろう。戦争映画でもないかぎり、それはごく短い、ひとつのエピソードとしてしか扱われないことがほとんどだ。フィクション内で物語を展開させるための装置としてや、私たちが復興し成長するためにあの悲惨な過去があったわけではない。 そこには物語の登場人物として語られることのなかった、多くの人間の人生があったのだ。この時代を生きる私たち視聴者がせめてできることは、物語に対するフォーカスを広げ、語られることのなかった誰かの人生を考えることだろう。 『ブギウギ』第13週のタイトルは「今がいっちゃん幸せや」である。この「今」や「幸せ」を、戦争は一瞬にして破壊する。東京大空襲は紛れもない虐殺であり、現在でも海の向こうでは虐殺が行われている。物語のいちエピソードを通して観客/視聴者を“いま=この現実”に向き合わさせるのが、エンターテインメントの役割でもあるはずなのだ。
折田侑駿