「後悔はない」IT系企業から故郷へ “地域唯一のスーパー”を継ぐ27歳 20年で2000人減った地域の暮らし支えて【中越地震から20年】
「“イチゴ牛乳アイス”は、僕が関東にいたときに食べていて、ここらへんでは置いていないので。“特別感のあるもの”を入れるようにしています」 10月11日。健也さんは母校の川口小学校を訪れました。 中越地震について学ぶ特別授業で、初めて講師として招かれたのです。 山森健也さん 「部屋のほうもぐちゃぐちゃで、窓のガラスが割れたり、棚が倒れたり、そういう状態でした。ここは、おうちの下の車を入れる車庫なんですけど、そこにブルーシートを張って、ここで生活をしていました」 当時の様子を伝えた健也さん。話を聞いた子どもたちからは… 児童 「安田屋の2階で地震が起きたときに、ガラスが床に落ちて、そのとき裸足だったんですか?」 山森健也さん 「そのときは裸足で、もちろんガラスが散らばっているので、ずっと動けなかったのね。地震が収まるまで待っていたら、下からお母さんが来て、靴を投げてくれたの。その靴を履いて、おうちの外に逃げました」 2年生のときに被災した健也さん。 20年前の自分と同じ年頃の子どもたちに向き合い、当時の経験を伝えました。 6年生の児童 「(中越地震のときは)みんなで協力して助け合って過ごしていたと思います。部屋に靴を置いておいたり、食べ物を保存しておいたりしたいです」 中越地震で全壊した地域唯一のスーパー・安田屋。 健也さんの祖父 金山昭英さん 「この“崩し”が始まったときは、やっぱり涙が出ましたな」 『地域のために』と地震後、わずか3日で仮店舗での営業を再開し、2005年8月には1億円以上かけて店を再建。リニューアルオープンにこぎつけました。ただ… 安田屋 専務 山森瑞江さん 「あれ(中越地震)がなかったら…もっと違っていましたよね。町も違っていましたし。常連の方が、この20年の間で半分以下になってしまったんじゃないかなと思います」 20年の道のりは平坦ではありませんでした。 人口減少に歯止めはかからず、地震前およそ5700人だった人口は3700人余りにまで減っています。