サーヤが語る「礼賛」だから表現できる自分らしさ、川谷絵音と共鳴し合うポップな感性
芸人としての「不安」と向き合い続ける姿勢
―ラランドファンにはお馴染みのマネージャーのマネたくさんは、礼賛の活動についてはどう見てるんですか? サーヤ:ライブをよく見に来てくれて、めっちゃ泣いてます(笑)。今回のEPの最後の曲(「生活」)が割と芸人としての歌詞になってて、自分でもここまで書くのは勇気要ったなっていう感じの曲で。自分の芸人としてのこれまでだったり、不安だったところを生々しく初めて書いて、最近ライブに来てくれる人が一番褒めてくれるのがこの曲なんですけど、マネたくはこれで泣いてましたね。 ―最初に子役時代からこれまでの話をざっくりとしてもらいましたけど、「生活」の〈ずっと黙ってた “芸事は恥” そう思っては スーツケース転がし 生業と思えた27、8 これでいいやと 変え始めたものさし〉というラインはまさにリアルなわけですよね。 サーヤ:そうですね。芸人がいろいろやるのシャバいみたいなことを言う人も多いし、芸人は特に同調圧力が半端ない業界なので、「何かちょっと外れたことしたらさぶい」みたいなのに自分もすごい囚われてたなって。でも最近やっとそこを考え直せて、「考えないようにしてたけど、そういえばテレビ出始めてからこの3年めっちゃきつかったな」みたいなことを改めて書けました。 ―サーヤさんはいま28歳だから、本当にここ最近で考え方に変化があったということですよね。 サーヤ:なので、時間はかかったなと思います。礼賛を始めたときもまだどこかで不安な部分が強かったんですけど、フェスとかツアーでいろいろなステージに立たせてもらったり、いろいろ曲を作っていく中で、だいぶ不安が抜けてきて、バンドに純粋に向き合うことができるようになってきて、「生活」の歌詞になったっていう感じです。 ―〈安定の生活 それとステータス 臨んでたものは手に入れたはず ぽっかりと空くこの胸は何 また手を伸ばしては探すばかり〉というラインもあるように、その一方では今も不安や孤独とも向き合い続けていることが歌われています。 サーヤ:何もかっこつけずに、まんまっていう感じですね。礼賛はメンバーに恵まれすぎてるので、だから安定してるんだけど、「自分がここであぐらをかいたら終わるな」っていう感じとか、このまま安定でぬるっと続けることもできるかもしれないけど、「ちゃんとケツ叩かなきゃ」と思うし、それはラランドの方でもずっとあります。