「マッチング恋愛」と「一目惚れ」、どちらが「ウソのない純粋な恋愛」なのか…ひとつの「意外な視点」
なんかウソっぽい
知星が語る、印象的な一節があります。知星が遥矢と一緒に、家で映画を観たときのことを振り返っての発言です。 〈遥矢のパソコンの小さな画面で映画を見る時、映画館で一人で見る時よりもわたしは泣いた。あの頃はそれを、彼の前では素直な自分でいられる、みたいに思っていたのだけれど、はたして、我慢できる涙まで流す必要があっただろうか〉 知星もかつては情熱的でロマンチックな恋愛をしていました。しかしやがて、「ロマンチック」にたいして、上のような居心地の悪さを感じるようになってしまうのです。上の引用を言い換えると、ロマンチックのせいで、自分たちの関係が、なにか酔ったような、演技くさい、本物ではないものに思われてしまう……ということでしょうか。ロマンチックの混入によって、自分たちの関係が、なにかウソくさく思われることへの当惑。 知星と美寧々の対比は、読者に「ウソのない恋愛とはなにか」という疑問を突きつけてきます。ビビビ恋愛にあこがれる美寧々は、そうした「ビビビ」こそが「ウソがないもの」だと思っている。一方で知星は、燃え上がるロマンチックな恋愛にウソくささを感じ、もう少し冷静(で戦略的?)な愛――それはマッチング恋愛に近いものかもしれません――こそがウソのないものだと感じているふしがあります。 ウソのない恋愛とはいったいどういうものなのか――読者は本短編を読んでいくなかで、そんな問いを突きつけられていくのです。そして、本短編を読み終わったあとには、そもそもなぜ、戦略的であったり、直感的であったりする多種多様な関係のあり方を、「恋愛」という一つの単語でひとくくりにして理解しているのかも、よくわからなくなってくる……これが本短編の凄みではないでしょうか。
恋愛の「新しさ」って?
さらに、「新しい恋愛」というタイトルからも、さまざまな示唆を受け取ることができそうです。 現代の日本において、マッチング恋愛は、「新しい恋愛」と受け止められているでしょう。しかし作中では、それは美寧々の目に「古いもの」と映っている。ところが、知星はむしろ、ロマンチックに飽き飽きし(それを古臭く感じ?)、マッチング的な恋愛(合理的で乾いた恋愛)に「新しさ」を見出しつつある。 いったいなにが「新しい恋愛」なのか。再考をうながされる展開です。本短編とは少し離れますが、たとえば、現在「新しい」とみなされているマッチング恋愛は、相手の職業、年収、趣味などに条件をつけ、自分も同じように条件をつけられ……と、「ひどく条件に縛られうる」ものです。その点では、じつはむしろ身分制の下での「古い、不自由な恋愛」に近づいているのかもしれない……。 この見立てが当たっているかどうかはともかく、恋愛とひとくくりにされるなかにあるものの多様さを考えたい、恋愛における「新しさ/古さ」について再考してみたいという方は、本短編に目を通してみてもいいかもしれません。 さらに【つづき】「社内恋愛には、なぜ「ちょっと冷めた感じ」がつきまとうのか? その意外なメカニズム」では、短編集『新しい恋愛』を「社内恋愛」という視点から読み解いています。
群像編集部(雑誌編集部)