武蔵小金井駅の「武蔵」とは何か? なぜ「武蔵」が付いたのか、全部で21駅「武蔵駅名」の謎に迫る
21駅の謎
武蔵小杉、武蔵浦和、武蔵小金井――。なぜ「武蔵」の名がつく駅は21もあるのか。2023年、筆者(昼間たかし、ルポライター)は、駅がある各地域の図書館などを訪ね、駅名決定の経緯に関する史料を探した。そして、本媒体に「「武蔵小杉」「武蔵浦和」「武蔵小金井」 なぜ“武蔵”のつく駅名は21個もあるのか?」(2023年12月3日配信)という記事を書いた。 【画像】「えっ…!」これが「武蔵」の付く「駅名リスト」です(14枚) 調査の結果、武蔵の名がつく21駅のうち、明確に駅名の決定に関する資料が残っているのは ・武蔵砂川駅(東京都立川市) ・武蔵浦和駅(埼玉県さいたま市) の2駅のみ。そのほか、 ・武蔵小山駅(品川区) ・武蔵小金井駅(小金井市) は関連する若干の資料が見つかった程度だった。ほとんどの駅で、駅名の由来を示す資料はなかった。旧国名である「武蔵」を冠した理由について、駅名の重複を避けるために「武蔵」が使われたとする説明する文献もあったものの、駅名が決定した同時代にそれに言及している資料は、ひとつもなかった。 駅名の由来は地域の人々にとって大きな関心事だったはずだが、なぜ資料が残っていないのか。その理由は、明治・大正時代には駅名の決定権は鉄道事業者にあり(鉄道省や鉄道会社)、地域には決定権がなかったためだと考えられる。ただ、当時の資料でもそれを明言した資料はない。あくまで資料から類推できる程度だ。
鉄道事業者の駅名権限
駅名を鉄道事業者が決めたことに言及しているのは、武蔵小金井駅に関する資料だ。この駅は後の時代の資料では「小金井」という駅名を持つほかの駅と区別するために「武蔵」が冠せられたと説明されている。 そこで、資料を探してみたところ、『小金井市史』資料編(2014年)の小金井停車場設置に関する文書に、駅名は 「すべて本省に一任」 と記されているものがあることが確認できた。ここから、鉄道省が「武蔵小金井駅」という駅名を決定したことが判明したのである。 そこで、鉄道省(あるいは、前身の鉄道院)が、駅名を決定する権限を持っていたことを示す資料がないかも確認してみた。直接の資料は確認できなかったが、当時の新聞報道から国では早い時期から駅名の重複を避ける方針をとっていたことがわかった。 『読売新聞』1914(大正3)年11月13日付けには次のような記事が載っている。 「鉄道院線に於ける同時駅名は一ノ宮の五カ驛を始め八十六驛異字同音三十五驛あるを以て鉄道院にては之が整理をなすべく各驛に吏員を派し調査を為さしめ居たるが今回決定せる分より改称をするに決し既に長岡驛は東海道信越東北三線に存在し居たるも東北線長岡は「伊達」と東海道長岡は「近江長岡」と改称公布せるが今後引続き改称の筈なりと云ふ」 ここからは、駅名の重複を避けるために、もっともわかりやすい手段として旧国名を用いることが全国的に行われていたことが類推できる。では、「武蔵」の名を冠した駅が21駅はすべて旧国名なのかといえば、そんなことはない。豊富な資料が残る駅では、より複雑な事情もわかるものがあった。 そこで、この記事では、上記の武蔵小金井駅以外に資料が残る武蔵浦和駅・武蔵砂川駅・武蔵小山駅の三つの駅の駅名決定に関する事情を紹介していくことにする。