豪雪地帯の鉄道守る「スノーシェッド」 愛される食堂も JR峠駅
山形県と福島県にまたがる吾妻連峰の奥深くに、巨大な倉庫のような色あせた建物がひっそりとたたずんでいる。鉄道の設備を雪から守るために1968年に設置された、JR奥羽本線峠駅(山形県米沢市)の「スノーシェッド」だ。 入り口付近の外壁は木製の板張りで所々穴が開いているが、内部に進むと見るからに丈夫そうな金属製に切り替わった。プラットホームには屋根の明かり取りから日の光が差し込み、ほの明るい。ホーム上には鉄道愛好家とみられる数人がいるが、ひっそりとしている。 午後1時半の前後に上りと下りそれぞれの普通列車が到着するのに合わせて、名物「峠の力餅」の売り子がやってきた。「ちからぁー、もちぃー」と声を上げ、ホーム上を行ったり来たりしていた。 板谷峠を越える奥羽本線福島―米沢間は1899年に開業し、かつては列車が折り返しながら急勾配を登るためのスイッチバックが四つ連続してあったことで知られる。それぞれのスイッチバックの末端には駅が設けられ、本線とスイッチバックの分岐部分にスノーシェッドが設置された。 峠駅のスノーシェッドは最大幅30・1メートル、最大高さ12・62メートル、長さ227・8メートル。92年の山形新幹線開業に伴いスイッチバックは廃止されたが、スノーシェッドは本線上に移設されたホームの雪よけとして、なお現役だ。新幹線がスノーシェッドをくぐって通過する様子も見られる。 今は無人駅の峠駅だが、70年代までは近隣で産出した鉄鉱石を貨車に積み込む拠点で、常時7~8人の駅員が勤務していた。黒田千栄子さん(67)が営む駅前の食堂「峠の茶屋 江川」は、当時の駅員やJR東日本の現役社員に愛されている。 もともとは千栄子さんの母、江川とくよさん(故人)が、駅員の食事の世話を無償でしていたのがはじまり。「困っている人には、できることはなんでもやる」というのが信条のとくよさんは、「今日は何が食いたいんだ」と毎日、駅員に聞いていたという。雪で列車が止まった際には、乗客のためのおにぎりも作って配った。 駅のすぐ脇に住んでいたとくよさんは、駅や線路の除雪も手伝っていた。早朝のまだ暗いうちに線路の分岐部分が凍っているのを見つけると、駅員に連絡して一緒に作業にあたった。そのため民家には珍しく鉄道電話が引かれた。 92年に千栄子さんが「半分趣味としてやるつもり」で営業許可を取り、正式に食堂を始めた。とくよさんの世話になった鉄道員や鉄道愛好家らに山菜料理が評判で、予想に反して常連客が増えた。千栄子さんは駅の雪かきも引き継いでいる。 「日々いろんな人が来て、住んでいて退屈しない」。線路がある限り、峠駅とともに生きる覚悟だ。 【小川祐希】