「車いすの人にとって、海は遠い」元車椅子バスケ日本代表選手が挑戦した海
初めてのダイビングに挑戦した元パラリンピック女子バスケ代表の増子恵美さん
「車いすの人にとって、海は遠い存在なんです。砂浜は車いすで動きづらいし、波に飲まれると自力では戻ってこれないし。でも、きれいな海」。鹿児島・奄美大島の淡い青色をたたえる穏やかな海を見つめながら、増子恵美さん(46)はそう語る。増子さんは、車いすバスケットボール元日本代表選手で、初めてのダイビングを体験するため、6月初旬、奄美大島に来た。
ウエットスーツに着替え、水に浮く特殊な3輪車いすに乗った。堤防を越え、スタッフが砂浜の上で車いすを引く。スタッフに支えられ、3輪車いすのまま、海に入った。「最初は初めてだったから、ちょっと怖かった」とその時のことを、後に語った。 2016年6月にオープンした施設「ゼログラヴィティ」は、世界で初めて、障がいを持った車いすの人々が楽しめるマリンリゾートだ。増子さんは、その開所式に招かれ、ダイビングを体験した。
19歳で事故に遭い、1年間引きこもりに
増子さんは、福島県三春町の出身だ。「もともとあまり体が丈夫ではない子どもだった」、と振り返る。「引っ込み思案で、物静かで。でも小学校4年生の時の担任の先生が大好きになり、その先生にミニバスを勧められ始めてみたら、バスケットの面白さに虜になってしまいました」。バスケットにのめり込むとともに勉強にも積極的になり、性格も明るくなった。 増子さんは1988年、19歳の時に事故に遭い、下半身に障がいを負ってしまう。「人生のどん底だった」と、当時を語る。増子さんは事故後、1年間家に引きこもったという。「近所の人にどう見られているか、これからどうなるのかと不安で外に出られなかった」
母が無理やり連れて行ってくれた車いすバスケ
そんな増子さんを、母が救う。「母親が社交的な人で、県内で『車いすバスケット』をやっている団体があると聞きつけて、無理やり私をそこに連れて行ってくれた」。『車椅子バスケ』のことは入院中に聞いていたという増子さんが、初めて実際に車椅子バスケを見た時、あまりいい印象は持たなかったという。