渡辺恒雄氏、肺炎で死去 多くの政治家を取材…政界に大きな影響力 “戦争責任”に強いこだわりも
日テレNEWS NNN
読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆が19日、肺炎のため亡くなりました。98歳でした。 ◇ 去年行われたプロ野球・読売巨人軍の激励会。 「読売新聞の渡辺恒雄でございます」 当時の選手や監督らがいる壇上であいさつするのは、「ナベツネ」の愛称で知られる読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆。 渡辺恒雄氏(当時96) 「選手を激励してやってください。選手諸君もそれに応えるべく頑張ってほしいと思います」
読売巨人軍のオーナーを務めたこともあり、選手にエールを送っていた渡辺氏。19日、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。98歳でした。 1926年に東京で生まれ、その後、東京大学文学部に入学した渡辺氏。 渡辺恒雄氏(当時79) 「女の子を追いかけるなんて暇があれば哲学書・文学書を読む。お互いにどっちがどれだけ読んでるか、教養を競う」 将来の夢は「哲学者」。しかし、当時は太平洋戦争のまっただ中。自身も陸軍に入隊しました。 渡辺恒雄氏(当時87) 「軍隊という所はひどい所で、栄養失調にはなるし、飯は食わしてくれんし、ただ意味もなく引っぱたく。悪い意味の奴隷、ヤクザの社会でしたね」 ◇ 終戦後、読売新聞に入社し、政治部記者として数々の大物政治家を取材。中曽根康弘元首相とは、特に親しかったことでも知られ、私生活も共にする仲でした。 中曽根康弘元首相 「日本一の愛妻家ですよ。私の知ってる友人の中でも格段の愛妻家」
渡辺恒雄氏 「中曽根さんだって愛妻家でしょ。中曽根さんも奥さんに相当勇気づけられて総理大臣にまでなった」 政界にも長年大きな影響力があった渡辺氏。2007年には、福田康夫元首相と当時の民主党代表、小沢一郎氏に対し、大連立構想を持ちかけたことでも知られています。 渡辺恒雄氏 「大連立やってくれと。できなければ中連立でもいいと。いずれにしても連立にした安定政権をつくれと言ったことは間違いないですよ」 その当事者たちは…。 立憲民主党 小沢一郎議員 「大連立という形以外ないと、感覚的に彼はそう判断したんでしょう。私は非常に政治感覚の鋭い持ち主だったと思います」 福田康夫元首相は「私自身もさまざまな場面で、渡辺さんの御指南を賜りました。その中には、今もって明らかにできない密議もあります。渡辺さんは間違いなく、日本政治の中心におられた方でした」とコメントしました。 また安倍元首相や岸田前首相など当時の首相とたびたび会談し“意見”を求められたこともありました。
また海外の要人に鋭く切り込んだことも。1992年にはソ連崩壊後のゴルバチョフ元大統領と会談し… 渡辺恒雄氏 「徴税機構がちゃんとしなければ、国の財政が支えられません」 言論界でも積極的に提言報道を行った渡辺氏。特に戦争を知る一人として、“戦争責任”への強いこだわりがありました。 渡辺恒雄氏 「日本人自身が“戦争責任”に対して歴史検証をしなければならない」 戦後60年となる2005年から1年間にわたり、満州事変や太平洋戦争当時の政治・軍事指導者らの「戦争責任」について、検証報道を行いました。 ◇ 葬儀は近親者のみで執り行われ、後日、お別れの会が開かれる予定です。